標的となった拓銀と私
1997年、北海道拓殖銀行は経営破綻した。
その「最後の頭取」となった著者は、
現在話題となっている日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ
「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。
大手銀行の経営トップで収監された例は、他にない。
バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。
後世に伝えるバブルの教訓をすべて明かす。
特別背任にあたるような
罪は犯していない
2002年5月30日、検察側は私と山内氏に懲役5年、中村被告に懲役3年をそれぞれ求刑しました。
私は「特別背任にあたるような犯罪はしていない」と思っていましたから、公判後のマスコミの取材にこう話しました。
「個々の融資をみれば、任務違背というとらえかたもあるが、それでは木を見て森を見ないことになる。森を見た判断をしてほしい」
2003年2月27日の札幌地裁判決は、そんな私の願いに正面から応えてくれる内容でした。
小池裁判長は「融資はずさんで、頭取としての任務に背いていたが、経営責任の追及を回避する目的で融資を実行したと認定するには合理的疑いが残る」などとして、特別背任罪の成立を否定し、私を含む3人の被告に無罪を言い渡したのです。
小池裁判長は宣告後、「刑事裁判としては無罪だけれども、拓銀に多大な損害を与えたことは間違いないのだから、今後はこのことを忘れずに生活していってほしい」と私たち3人に語りかけました。
しかし、その3年後の2006年8月、札幌高裁の長島孝太郎裁判長は一審の無罪判決を破棄し、逆転有罪と結論付けました。
違法行為の発覚を恐れて
自己保身のために融資?
高裁の判決は私と山内被告はともにソフィアグループが倒産すれば、それまでの融資に関する責任が追及されるので「自己保身のために融資を続けた」としたうえで、「拓銀に損害を与えることを認識していた」と認定。
控訴した検察側の主張にほぼ沿う内容でした。
私は、一審判決とは真逆の結論にどうしても納得がいきませんでした。
60回近い公判を重ねた一審に対して、控訴審はたった1回の公判で結審したからです。
2005年12月に行われたこの公判は、融資の決定過程を巡る細かな点を私と山内氏に問うといった内容で、2時間弱であっさり終わりました。
多くの法曹関係者は、1度限りの公判で刑事事件の無罪が有罪に一転することは極めて珍しいと口をそろえました。
実際、執行猶予がつかない実刑判決になるとは思いもよりませんでした。
一審は「追加融資は私利私欲のためではなく、本当に銀行のためにやったこと」という、私たちの主張を細かく検討してくれました。しかし、二審は、「もし問題が発覚したら株主代表訴訟を起こされたり、経営責任を追及されたりする状態にあったから、それを回避するためにやった」などと説得力のある根拠もないままに、有罪を認定しました。
もし合理的な根拠が書いてあれば、なるほどと思ったかもしれませんが、二審判決にはまったくなかったのです。
(次回へ続く)