朝日新聞の5月12日付けのオピニオン欄(耕論)のテーマは「冷や飯を食う」だ。組織内で正当な評価を受けずに冷遇された人たちが、冷や飯を食っていた時代を思いだして意見を述べている。
登場しているのは、元経済産業省官僚の古賀茂明さん、日立就職差別裁判元原告の朴鐘碩さん、そして日本サッカー協会名誉会長川淵三郎さんだ。
川淵さんの冷や飯時代
一番驚いたのは、川淵さんだ。Jリーグを創設し、そのトップリーダーであり、今や日本サッカー界のドンでもある、あの川淵さんに冷や飯食いの時代があったとは、にわかに信じられない話だった。
川淵さんは「今でも24年前の、あの時のことを忘れません」と言い、サラリーマンとして絶頂期だったころの不当な人事を憤る。
川淵さんは、当時、51歳で古河電工名古屋支店銅製品販売部門の部長で、営業成績も良く、前任者がそうであったように自分は当然、本社の部長として凱旋できると信じていた。ところが意に反して子会社の部長の辞令。「頭の中は真っ白、声も出ません」と川淵さんは当時を思い出し、そのショックを「ドーハの悲劇を現地で目の当たりにした時と同じくらい」と、さすがは日本サッカー協会の名誉会長と手を叩きたくなる表現。日本中が言葉を失った、あの「ドーハの悲劇」と同じショックを受けたのだ。
しかし、この左遷が今日の川淵さんを造った。サッカーを辞めて、本社の重役になることを目指していた川淵さんは、子会社への出向を受け入れ、意に沿わぬ会社勤めをしながら、サッカーのプロ化を進めるという二足のわらじを履くことになる。そして91年にJリーグのチェアマンに就任し、退職する。
「私にとって、サッカーが人生のよりどころになりました」と川淵さんは言う。