メンタルをコントロールし、集中力・創造力が高まるとしてビジネスシーンで大きなブームとなっている「マインドフルネス」。しかし、ブームとなった半面、単なるツールとして安易に用いられ、その本質を見誤ってしまう危険もあるのではないか。
そこで「ハーバード・ビジネス・レビュー」の新シリーズ「EI Emotional Intelligence感情的知性」最新刊の『マインドフルネス』発売記念イベントで、ゲーム・人工知能(AI)開発の第一人者にして哲学塾を主宰する三宅陽一郎氏、曹洞宗僧侶としてグーグルやスターバックスなど米国の名だたる企業に坐禅を指導してきた藤田一照氏に、マインドフルネスの本質について語り合ってもらった。その内容を2回に分けて公開する。(構成/田坂苑子、写真/斉藤美春)

「競争社会に勝つため」のマインドフルネスは正しいのか

三宅 本来、「禅」というのは欲求や煩悩などを含め、いろんなものから解き放たれるためにあるのだと思うのですが、最近、特にアメリカでは、「集中力や生産性を上げるため」というようなマインドフルネスの「目的性」がはっきりしてきている気がします。

 目的を明確に持ってマインドフルネスを取り入れようとするのが非常にアメリカらしいプラグマティズム的発想だな、と。そういうマインドフルネスには邪心と言いますか、本来至るべき境地とは逆のものが入ってしまっている気がするのですが、藤田さんはそのあたりをどうとらえていらっしゃいますか。

藤田 アメリカでこういうことに関心を持っている人は非常に真面目な方が多いんです。向こうで坐禅を教えていたとき、プリンストン大学を出た医師の方がいらしたんですが、「私のために悟れるプログラムをつくってくれ。どんなに困難でも必ずやり遂げる。今までそうやって生きてきたから」と言うんですね。

 プロジェクトが好きで、目指すものがあると喜んでがんばる。彼らのような人たちはそうやってがんばって欲しいものを手に入れてきたので、その思考のまま「禅で悟りというすばらしいものを手に入れたら、自分はもっと成功する」と考えている。

 そもそもそういった考え方に疑問を呈しているのが仏教だということ、その思考の路線を変えるのが禅なのだということを理解してもらうのに苦労しました。彼らとしては、そういうやり方で生きてきて8割方うまくいっているのだから、残り2割を禅やマインドフルネスで補強すれば完全になると思っている。

三宅陽一郎(みやけ・よういちろう)
日本デジタルゲーム学会理事、「人工知能のための哲学塾」主催。ゲームAI開発者。京都大学で数学を専攻、大阪大学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程(単位取得満期退学)。2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。東京大学客員研究員、理化学研究所客員研究員、IGDA日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、DiGRA JAPAN 理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。著書に『人工知能のための哲学塾』 『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『人工知能の作り方』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、『人工知能と人工知性』(iCardbook)。共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)、『高校生のための ゲームで考える人工知能』(筑摩書房)などがある。

三宅 面白いですね。最近シリコンバレーから日本へ移ってくるエンジニアが結構いるんですが、なぜ日本に来たのかと聞くと、向こうは競争が激しすぎる、と言うんですね。そういう熾烈を極める競争社会のなかで、本来ならその対極にある禅の思想やマインドフルネスが必要とされているというのが、私としてはとても面白くて。

 向こうの人にとっては「勝つため」「競争社会で生き延びるため」にマインドフルネスが必要、という不思議な感覚がありますよね。もちろんそうではない事例もたくさんあるとは思いますが。

 マインドフルネス=解像度の高い目をもつ

藤田 人が現実に満足できずジタバタする心には、「自我」とか「エゴ」とか色々な言い方がありますが、道元はこれを「吾我(ごが)」と言っています。禅では「がんばる」ということが、この「吾我」に通じてしまうんです。でも「吾我」を持っているとできないようにデザインされているのが、坐禅やマインドフルネスというものなんですね。

 ただこの「がんばらない」というのが非常に難しい。緊張を解いて目的や執着を手放してくつろぐのがいちばんいいんですよ、と言っても、真面目な人は「はい、わかりました! がんばってくつろぎます!」となってしまう(笑)。

 私自身やはり最初はがんばってしまいましたし、そこがわかるまでに10年くらいかかりましたから。でももちろん10年もかからない人もいますし、すぐわかる人もいます。だからやらないよりはやったほうがいい。ずっとやっていたら、どこかで変わっていきますから。

 そのためにも最初は「うまくいっていない」ということに気がつく、ということが大事です。マインドフルネスによってサクセスストーリーが始まるわけではなくて、最初はたぶん失敗がずっと続く。それをありのままに「観る」ということがマインドフルネスなんです。

 仏教の言葉で「如実観察」と言うんですが、「実の如く観る」ということですね。ありのままに観ることで失敗の原因がどこにあるかが見えてくる。この如実観察のための訓練が「瞑想」であり、より「解像度の高い目」で経験を観ることがマインドフルネスだと私は思います。