三宅 吾我を手放して自分の失敗もありのままに観る、ということですね。一般の人からすると仏教というのは厳しい修行があって、それを経て高みに行って……というような常人ではなかなか及ばないところがあるイメージですが、マインドフルネスはそれをアメリカでわかりやすくパッケージングして日本に逆輸入した、という感じですね。

 そこまで仏教に詳しくない一般の人には「これぐらいわかりやすければ自分にもわかる!」ということでブームになったんでしょうね。

パッケージ化されたことで一般に浸透

「仏教」と「人工知能」の世界から見たマインドフルネス

藤田 そうですね。三宅さんがおっしゃるように、日本の仏教は入り口を高いところにおいて、みんなに「私には無理」と思わせるようなプレゼンをしてきたので、あれだけ長い間布教をしてきても全然広まってこなかった。でも、マインドフルネスが逆輸入され、仏教にいちばん縁のなさそうなビジネスマンたちが瞑想に関心を持った。今まで日本のお坊さんたちはいったい何をやっていたんだと言われたりしますよ(笑)。

 そもそもアメリカのマインドフルネスは、マサチューセッツ大学医学部教授のジョン・カバットジンが、瞑想やヨガを取り入れることで鬱や慢性疼痛などを抱えた人の治療に効果があるのではと瞑想中に思いついて、禅の思想から発展させて提唱したものなんですよ。

三宅 敷居を低くしてプロダクティブにするのが、やはりアメリカ人はうまいですね。

「仏教」と「人工知能」の世界から見たマインドフルネス藤田一照(ふじた・いっしょう)
1954年、愛媛県生まれ。灘高等学校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州バレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し、現在も坐禅の研究・指導に当たっている。2010年より2018年まで曹洞宗国際センター所長。スターバックス、フェイスブック、セールスフォース、グーグルなど、米国の大手企業でも坐禅を指導する。著書に『現代坐禅講義』(KADOKAWA)、共著に『アップデートする仏教』(幻冬舎)、『禅の教室』(中央公論新社)、『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)、『退歩のススメ』(晶文社)、『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『安泰寺禅僧対談』(佼成出版社)、『仏教サイコロジー』『マインドフルネスの背後にあるもの』(サンガ)などがある。

藤田 カバットジンさんのマインドフルネス瞑想にある「レーズン瞑想」なんて、すごいと思いましたよ。干しブドウひと粒を30分くらいかけて、眺め、においを嗅ぎ、触り、味わい……というものですが、五感を研ぎ澄ますエクササイズを干しブドウを使ってやるなんてね。

三宅 「チョコレート瞑想」とかすごく衝撃的でしたからね。ここからなら私も入れるかな、という気持ちになりますよね。

藤田 こういう方法論というかマニュアルを作るのがアメリカの人はすごく上手ですね。だからこそ仏教なんてまったく触れることもなかった、瞑想なんてやりそうにもなかった人たちが、こぞってやるようになっている。

 ちなみに、「マインドフルネス」という言葉は西と東が出会ってできた面白い言葉なんですよ。Mindful(マインドフル)はもともと西洋にあった言葉で、聖書にも載っている古くからある英語です。仏教用語にサティ(sati)というパーリ語の言葉があり、日本語では「念」とか「気づき」などと訳されることが多いのですが、本来はもっと広く深い意味をもっています。

 このサティの訳語として英語圏であてられたのが、mindfulnessです。それが日本にきて、カタカナの「マインドフルネス」となった。サティよりも世俗的な形に成形されているマインドフルネスを否定的に見る向きもありますし、私もそう思う部分はありましたが、今はサティとマインドフルネスのあいだをうまくつなげられるといいのではないかと思っています。

(後編は、明日3月8日公開予定