もちろん、それ以外にも日本人が集まる物件は市内に点在していたが、その人気とサービスは“御三家”にはかなわなかった。この3物件を合わせると実に1318戸、1世帯あたり3人家族として計算しても約4000人の日本人が生活をしていたことになる。

 当時、世界一のホットスポットといわれた上海で、領事館に在留届を提出する日本人は増加の一途をたどった。2007年10月、上海の在留邦人総数は4万7794人、そのうち3ヵ月以上の長期滞在者数(永住者を除く)は4万7731人を数え、都市別ではニューヨークとロサンゼルスを抜いて1位となった。在留を届けていない日本人も含めれば、「上海には日本人が10万人はいるだろう」といわれたほどだった。

 だが、状況はガラリと変わっていった。「上海ガーデンプラザ」は2007年に米ゴールドマン・サックスに売却され、その後2010年に上海復地集団が購入。現在は、中国人富裕層向けの超高級物件として完全に建て替えられていた。

 ビジネスコミックの“有名人”である島耕作氏も上海赴任時代に住んだと設定される「東櫻花苑」は、2016年に中国資本に売却され日本人居住者が退去させられた。その現場にはすでに当時の面影はなく、クラブハウスは取り壊され、躯体のみを残したツインタワーはリノベーション工事が急ピッチで進行し、高級マンションとしての販売も始まっていた。

「虹橋公寓」は、契約満了を迎えた世帯から立ち退かせていく形で、2016年に全入居者を退去させ、中国・韓国資本に1棟売りされた。2018年は買い手となった中国資本の阜興集団が債務危機に陥ったという話もあり、プロジェクトが滞った時期もあったようだが、現場では静かにリノベーションが行われていた。

 その後、上海の在留邦人総数は2012年10月の5万7458人をピークに減り始め、2016年同月は4万3455人と2007年当時を割り込んだ。その上海で、1300世帯を集めた“三大日本人村”は消滅していた。「兵(つわもの)どもが夢の跡」――とはまさにこのことだった。