>>(上)より続く

震災の記憶を避ける日々を経て
語り部としての活動に自信

 この状態で過ごすこと9日間。震災発生から10日目の3月20日になって屋根裏から出られることに気づき、家の梁を伝って屋根裏から助けを求めた。その声はちょうど地域をパトロールしていた石巻警察署員たちに届き、ようやく救助された。そのまま病院に搬送された阿部さんは足の凍傷がひどく、発見が数日遅れていたら切断の可能性もあったという。心配していた両親や兄とも再会した。

 高校卒業後は山形県内の大学に進学。そこで新聞社から震災体験の取材を受けたことがきっかけとなり、伝え続けることの重要性を改めて知った。古里の石巻で働きながら復旧復興に貢献したいという思いも日増しに強まり、萬画館の求人に応募。2017年から働き始めたのとほぼ同時に、語り部の活動もスタートさせた。

 復興のゴールを10段の階段で例えれば「10段目にいます」とちゅうちょなく語る阿部さん。以前は避けてきた震災の記憶に向き合い、語り部として活動ができていることに自信を持つ。「当時のことを話すと、よく『奇跡の生還』と言われますが、僕の体験は決してそうではなく、逃げ遅れて閉じ込められてしまった失敗談。これを教訓にして、早く逃げることを伝えたい」。

 個人的には復興を遂げていながらも、地域については7段目の印象を受けるという。中心市街地では、まちなかを盛り上げる商業施設が整備され、災害公営住宅も建つなど復興が進んでいることを実感するが、にぎわいの創出はまだこれから。「震災前より交流人口が増える地域になった時が10段目」と考えている。

「まちを離れた友人も多い。いつか戻ってきたいと思える石巻にするため、多くの人と手を取り合って活性化につなげたいです」。まちづくりに関わる今の仕事に、誇りとやりがいを感じている若者の一人である。