東日本大震災から8年。インフラの復旧復興が進んでいる石巻地方(石巻市、東松島市、女川町)だが、震災は多くの人の人生を激変させた。一人ひとりが負った心の傷は、時間で埋められるものでもない。人々は今、復興がどの程度進んだと捉えているのだろうか。(石巻日日新聞取材班)
「復興の階段」を歩む日々
あなたは今、何段目にいますか?
宮城県北東部の三陸沿岸に位置する石巻地方は東日本大震災の震源地に最も近く、6000人以上が犠牲になるほどの甚大な被害を受けた。あの日から8年。仮設住宅の多くは解体され、道路をはじめとするインフラの復旧復興で地域の姿も復興計画に沿って整いつつある。
しかし、震災は多くの人の人生を激変させ、一人ひとりが負った心の傷は、時間で埋められるものではない。石巻地方を取材エリアとしている石巻日日新聞は2015年以降、3月11日を中心に「復興の階段」という企画記事を掲載している。真の意味で「復興を遂げた」と言える日を10段目とすると、今どこにいるのか。一言で「復興」と言っても受け止め方は人それぞれに異なる。
東日本大震災の津波は、太平洋にそそぐ旧北上川をさかのぼって、石巻市の中心市街地にも甚大な被害を及ぼした。まちなかの商店街では、再建を決めた一方、幕を下ろす事業者もいた。虫食いのように更地ができたと思えば、そこに新たな施設が建ってきたこの8年。今も工事車両が行き交い、重機の音が街頭に流れる音楽をさえぎるように響く。生き物のように姿を変えていくまちが、ここにはある。
かつて酒屋「新田屋」を切り盛りしてきた新田貞子さん(にった・ていこさん、75歳)は、まちなかの商店街の昭和のにぎわいと平成の衰退、そして震災前後の変化を見つめてきた一人。酒屋は震災前にコンビニエンスストアとなり、閉店後は駐車場として貸していたが、震災後は地域の若者に開放。民間団体がコミュニティーカフェを整備し、中心部の憩いの場となっている。