ウソのない人間関係のつらさ

 とくに、私が気になるのが、SNS上の人間関係に「ウソ」がないように思える点です。

 かつてネットといえば、出会い系などに顕著なように、ウソをつくのが当たり前の世界でした。本人が「18歳の女子高生です。趣味はカラオケ、好きな食べ物はイチゴ」といっていても、パソコンや携帯電話の向こうにいるのは50歳のオッサンかもしれない。「ウソ」をめぐるそんな感覚が、ごく普通にあったような気がするのです。

 ところが、SNSがはやり始めた頃から人々の感覚が変わりました。実名や顔写真を公開するユーザーが増えたこともあるのでしょう。SNS上に書かれたことは、ひょっとしたらウソかもしれない、話半分に読んでおこう。そんな感覚がなくなって、書かれたことを額面通りにとってしまう人が増えたように思うのです。

 なかには「ウソなんかないほうがいいでしょ?」といぶかしく思う人もいるかもしれません。もちろん、それは正しい。けれども半面、ウソのないクリーンな状態は人を疲れさせるものなのではないでしょうか? それが冒頭で触れた「SNS疲れ」につながっている。

 一つ例を挙げましょう。

 イギリスに「LANCET」という医学専門誌があります。2011年末、同誌に目を引く記事が載っていました。SNSによって喘息発作が誘発されたという18歳男性のケースです。

 彼はFacebookを通じて過去に自分をフッた元恋人の友達になりました。しかし、彼女は他に多数の若い男性を友人として登録していました。それを見るたびに彼は呼吸が苦しくなり、発作が起こるようになったというのです。呼吸機能の検査を受けた結果、Facebookで元恋人の写真やプロフィールを見たことが心理的ストレスを引き起こし、発作の要因となったとわかったそうです。

 このケースは少し極端かもしれません。しかし、その場ですぐに相手とコンタクトが取れて、好むと好まざるとにかかわらず、相手の「リアル」な情報がすぐにわかる。このSNSならではのメリットが心理的負担になってしまうことがある。イギリスの医学雑誌の症例は、それを示しているように思えます。