クリーンすぎる世界
似たような事態は私のまわりの学生たちにも見受けられます。
「今○○にいる」「これから××に行く」というふうに、ちくいちtwitterやFacebookで実況中継をしている学生をたまに見かけます。その様子は、時に苦行にいそしむ修行僧のようです。
「疲れないの?」と聞くと、「実は、そう感じる時もあります。相手のSNSにもつい反応してしまうし……」と漏らします。「じゃあ、一度やめればいいんじゃない」と私。すると今度は、「突然やめると、どうしたの?何かあったの?とみんなに聞かれるから……」とまたまた口ごもる。さらに「やめてしまったら、勝手に間違った噂を流されるかもしれないし……」と不安を口にします。
学生たちは、自分について悪い噂を流されることへの恐怖心から、SNSに常にアクセスしていなければならないというのです。これでは、常に自分の行動を監視されているようなもので、息苦しさを感じるのは当然です。
1998年に公開された『トゥルーマン・ショー』というアメリカ映画があります。内容は、生まれた時から気づかないうちに24時間、自分の人生を撮影され、世界220カ国に放送されていたという主人公の物語です。当時、監視社会の到来を皮肉った内容だと批評されました。
学生たちは、いわば自分からこの映画の主人公の境遇に身を投じているようなものです。