平成は東日本大震災や阪神・淡路大震災など、未曽有の大災害が相次いだ。身元が判明した大勢の犠牲者のほか、現在も行方不明の方が数多くいる。住み慣れた家屋を失って避難を余儀なくされ、コミュニティーが崩壊した地域も少なくない。それぞれの災害について、どんな被害が出たか、時間の経過とともに忘れ去られることがないよう、各メディアは工夫を凝らし報道を続けている。しかし災害報道に対しては、ネットなどで批判的なコメントが投稿されることが多い。平成に発生した大災害を振り返りながら、あまり知られていないメディアの取材現場を紹介したい。(事件ジャーナリスト 戸田一法)
「1・17」と「3・11」
1995(平成7)年1月17日午前5時46分、それは起こった。兵庫県の淡路島北部を震源とするマグニチュード(M)7.3、観測史上初の震度7を記録した「阪神・淡路大震災」だ。
市街地の複数個所で家屋が炎上して黒煙を上げ、上空の報道ヘリコプターから「これは、私の知っている神戸ではありません!」と絶叫したアナウンサーの声を覚えている方も多いだろう。
倒壊したビル、横倒しになった高速道路、アスファルトを切り裂いた地割れ…。テレビの視聴者の方々も、現実のものとは信じられなかったのではないだろうか。
犠牲者は6434人、行方不明者3人。負傷者は4万3000人を超える。被害家屋は約64万棟にも上った。
こうしたデータだけでなく、崩壊した高速道路から落下しそうになりながら生還した大型バス運転手の証言、火炎が迫る中で倒壊した家屋に挟まれて身動きができず「自分に構わず逃げろ」と叫んだ犠牲者の逸話、仮設住宅で誰にもみとられず冷たくなった高齢者など、こうした報道はご記憶と思う。
2011(平成23)年3月11日午後2時46分には、宮城県牡鹿半島沖でM9.3、最大震度7を記録した。当時、国内観測史上最大の「東日本大震災」だ。