バスケットボール五輪出場までの紆余曲折を振り返る
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 バスケットボール日本代表が男女とも20年東京五輪に出場できることになった。3月30日、国際バスケットボール連盟(FIBA)が開催国枠を与えると発表したのだ。

「エッ、自国開催なんだから出場できるのは当たり前でしょ?」

 バスケットボールに関心の薄い人は、そう思ったかもしれない。が、長年の紆余曲折により、当たり前のことが認められない状況にあった。その危機を多くの人がさまざまな努力をし行動し、成果を示して乗り越えた。ギリギリのところまで追い詰められながら必死に挽回し、やっとのことで勝ち取った出場権なのだ。ここまでの道のりがどれだけ険しく厳しいものだったのか、改めて振り返りたい。

「問題児」だった
日本バスケットボール協会

 世界のバスケットボールを統括する団体がFIBAだ。ルールを改定し国際大会を主催・運営するとともに、バスケットボールの普及・振興に努めている。傘下にある各国のバスケットボール協会がその意に沿って普及に取り組めば、全体の競技力がアップする。そのうえで各国の代表チームが各大陸の予選でしのぎを削り、そこを勝ち抜いた国が国際大会に出てくれば、よりハイレベルで迫力ある試合を見せることができる。大会の注目度は上がりファンは増え、普及・振興につながるわけだ。

 FIBAから見れば、日本バスケットボール協会(JBA)は、その意に沿う活動をしない「問題児」であり続けた。とくに問題だったのが進まない強化だ。女子の代表は1996年アトランタ五輪、2004年アテネ五輪、そして前回のリオ五輪と近年も出場しており、アトランタとリオでは準々決勝まで勝ち上がったからまだいいが、男子の代表は散々の成績が続いた。五輪は1976年のモントリオール大会から出場できずにいたし、アジアでも勝てなかった。