平成時代が終わり、令和時代が幕を開ける。同時に働き方改革関連法が施行され、日本人の働き方も新しい時代を迎えそうだ。とはいえ、景気が回復したとは言い難く、明るい話題ばかりではない。「何をしたいのかわからない」と悩む就活生も、「このまま今の会社にいていいのか」と悩む社会人も少なくないだろう。
 そんな悩みを解決する本が、ダイヤモンド社より刊行された。『苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」』である。倒産確実と言われていたUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)を、わずか数年で世界第四位のテーマパークにまで導いた稀代のマーケター・森岡毅氏の著書である。
 森岡氏は、自分自身のキャリア構築にマーケティングの手法を取り入れることで成功してきたという。そのノウハウを巣立ちゆく我が子のために書きためていた。そんな「森岡家の虎の巻」が惜しげもなく公開される。
 子の成功を願う親の想いで綴られた、マーケティングの手法で論理的にキャリアの構築法を説いた前半、そして逆境に追い込まれ、ヒリヒリする痛みの中でどのように失敗や不安と向き合ってきたかを語る後半。右脳と左脳を激しく揺さぶられるような、ダイヤモンド社が自信をもってお届けする10年に1冊の傑作ビジネス書である。
 本連載では、森岡氏の実戦に基づく独自のキャリア構築法をうかがっていく。どうやって自分に合った仕事を見つけるのか、どうやって能力を伸ばしていくのか、悩める就活生や社会人はぜひ参考にしていただきたい。
 第5回のインタビューでは、ちょっと脱線しつつも、日本の学校教育の問題点について聞いていきたい。

グローバル企業で通用しない日本人問題森岡毅インタビュー[5]

頭を使って戦略を考える
ことに快感を覚えた

――これからの時代、教育も変わっていかなければならないのでしょうか。

森岡 誰かの役に立つというか、社会との接点を持っているということが、自分の存在価値だという、自分の中の価値観みたいなものがもっと明確になる教育をしたほうがいいですね。あとは、社会の評価とか、成功体験みたいなのをもっと実体験させたほうがいいかもしれません。ありがとうと言ってもらえるとか、何かが良くなるとか、そういう単純な幼少期の体験は大切なんじゃないですかね。

 今ちょっと思い出しました。私、運動会のときに、綱引きをやったんですね。今でもそうですが、子どもの頃から勝負に負けるのが絶対嫌だったんですよ。じゃんけんで負けても悔しくて眠れないぐらい負けず嫌い。小学校3年生ぐらいだったかな、運動会の練習のときに綱引きをやって、何度やっても私のいた白組が負けたんですね。赤組はでっかいメンバーが揃っていて、どうしても勝てない。悔しくてね。でも、みんな私のようには悔しいともなんとも思ってない様子なので、俺に代わらせろって、笛吹いて旗振る役に私が代わって。絶対に勝たせたかったので、どうやったら勝てるかを考えて、運動会の一発本番で指揮を執った。で、本当に勝たせたんですよ。それはどういうことかというと、綱引きの勝ち負けが何で決まるかを考えると、苦しいときに頑張れるか、苦しいときに諦めるかの勝負なんですね。お互いが重心を低く保ちながらだいたい同じようなことをやって、疲れてきて、気力がどれだけ出すべきときに発揮されるかの勝負なんですよ。そこで一番いいのは、ギリギリの状況で相手の精神をくじくことなんですね。私はわざわざ白旗をこっちに置いて、笛をビービービービーって吹きながら、赤の方に行って、「あ~もうあかんあかんあかん、負ける負ける負ける、あ~もう負ける負ける負ける、もうあかん、負けるわ、負けるわー!!」って言い続けたんですよ。そしたら、狙ったとおり敵の力が抜けて(笑)、白組が勝ったんですよ。

――斬新ですね(笑)。

森岡 そのときに頭からめちゃくちゃ興奮物質が出たんです。あの感覚は、覚えてます。それまでも、どうすれば勝てるのかと考えるのがね、子どもの時から好きだったんです。なんで私はこんなに勝ちたいのかよくわからない。あのときも、自分の知恵で皆を勝たせることが出来たことが嬉しかった。私自身は後で先生から「汚い手段だ」とコテンパンに怒られましたけど、こっちは禁止されていない範囲の知恵を出したつもりでしたし、フェアじゃないのはそもそも歴然とした体格差の方だと思っていましたし、何よりも級友たちが喜んでくれた。私が何かを考えて世の中に放り込んだら、世界を少しなりとも変えることができるという原体験の1つだと思います。

 たぶん私はすぐに会った人に好かれるのがあまり得意じゃないという自意識があって。だから根源的なところで、人に好かれたい願望というか、渇望みたいなのがあるのかもしれない。だから“人を勝たせる”ことに執着があるのかもわからないですね。勝つ、人が喜ぶ、自己保存が満たされるみたいな、そういうつながりがどこかにあるのかもしれません。