言葉を変えれば、日本相撲協会はすぐ「伝統」や「国技」といった言葉で自分たちを守ろうとするが、白鵬に「後の先」を体現してみせ、導いてくれる親方は今の相撲界には1人もいない。そのくせ白鵬に注進し、国籍離脱まで暗に強いた。

 白鵬のオフィシャルブログを見ると、2016年1月28日に「後の先」と題して、こう書いてある。

『初場所が終わり、場所休みをゆっくりさせていただいております。その中で今までの動画を見て、皆様にも是非見ていただきたい取組があります』

 そこに貼り付けてあるのは、『昭和の大横綱 双葉山 昭和の後の先 パーフェクトの双葉山』と注釈をつけた双葉山の相撲。

 そして、「この取組みパーフェクトかな」と、白鵬自身の2010年秋場所・日馬富士戦と2013年初場所初日・松鳳山戦も載せている。いずれも相手の立ち合いを悠然と受けて、そこから一気に相手を翻弄して勝った相撲だ。

「後の先」とは、先に動いて先手を取る「先の先」とは違い、一見相手が先に動いているが、動かない白鵬の方が間合いを制して相手を無力化している」といった境地だと思われる。筋力勝負や目に見える動きの強さ速さにばかり目を奪われる日本では、まったく理解されない価値観だ。

 本来、相撲を通して日本相撲協会が継承し発信すべきはこのような相撲の深さであるはずなのに、当の相撲協会の幹部たちが、こうした魅力を認識できていないとしか思えない惨状だ。

 さらに、白鵬はこう記している。

『後の先はこれからの夢と目標であります。後の先で負けても悔いはありません』

 この横綱から、故郷モンゴルの国籍を奪う資格が日本相撲協会にあるとは到底思えない。申し訳ない気持ちが空しくさまようばかりだ。

 なぜこんな簡単なことに気付けないのか。母国への愛と誇りを断ち切らせて、どこに「心」は育つのか? 矛盾に満ちた規定を変えることもできない。相撲協会への疑念は消えないままだ。

(作家・スポーツライター 小林信也)