【伊藤 蘭インタビュー2】<br />作詞をしていて、わあ、キャンディーズ時代と変わってないじゃない、わたし!(笑)  って思いました

41年ぶりに歌手としてソロデビューした伊藤 蘭さんへのインタビューは、その音楽性、特に作詞についてなど、新生「全キャン連」(全国キャンディーズ連盟)代表である、著述家の石黒謙吾氏ならではの視点で、さらに深掘りされていきます。(撮影/榊 智朗)

「詞を作っていて、スーちゃんの『午前零時の湘南道路』みたいなイメージかなとか」

石黒 アルバム11曲のうちに、ご自身作詞の曲がいまお話しいただいたその2曲と、もう1曲ありますね。9曲目の「女なら」。これは、いまAKBグループにたくさん曲を作られて勢いのある、若田部誠さんですね。あ、ちなみに調べたら、蘭さんと同じ日大芸術学部……って調べていてどうしてそんなところが気になってしまうという(笑)。

伊藤 いえいえ(笑)。はい、若田部さん、そうなんです。

石黒 曲は、昭和歌謡っぽさがある感じで。これに詞を書かれようと思ったあたりはどのような?

伊藤 これは、蘭さん書いてみたらどうですか? というスタッフからの投げかけの流れがあって、じゃあできるかどうかわからないけどやってみますと。できなかったらごめんなさい、って(笑)。

石黒 昭和歌謡っぽさとドライブ感で、一瞬、蘭さんのイメージとミスマッチかと思ったら、なんだかぴったりハマっているという……。

伊藤 デモを聴いたときは、元々入ってた詞が、もっと若い女の人らしいものだったので、さすがに私が歌うのには若すぎるかなと(笑)。でも、だからこそというか、自分で詞をと思って作ってみたんですけど。

石黒 すごく大人っぽい仕上がりですよね。

伊藤 ええ。弱さと強さを併せ持っているような女性を表現してみたくて、あのような詞になっていきました。

石黒 哀しみや憂いを含んだ内容が、キャンディーズ時代の蘭さん作詞の曲では、「アンティックドール」とか「悲しみのヒロイン」とか「ムーンライト」の方向と感じました。

伊藤 ああ! そうですか!? そこはまったく意識はしてなかったんですけど、たしかに言葉遣いも、あえて、ちょっと昭和チックにしようと、曲に合わせて意識はしていましたね。そうそう、当時のことといえば、詞を作っていて、スーちゃんの「午前零時の湘南道路」みたいなイメージかな、とか言ってましたから(笑)。

石黒 ええっ! これはまたファン的に深くささるお話です! 具体的でいいですねえ。グッときました……。そういえば、今回、作詞されるにあたって、キャンディーズの頃の蘭さん作詞の曲を見返されたりしました?

伊藤 なんとなく程度に眺めてはみました。

石黒 どう思われました?

伊藤 背伸びしている感じのもあるなって、若いなりの気持ちも今見るとわかりますよね。当時、急に「自分たちで作詞してみなさい」みたいな感じだったので……。3人とも、「え! どうやって作詞するの!?」って(笑)。そんなところから始まったんですよ。

石黒 アミューズの大里会長(注:当時のマネジャー)からその話聞いたことあります。アルバム曲で3人の作詞がスタートしたのは、1977年4月に出た10枚目のオリジナルアルバム「キャンディーズ 1 1/2~やさしい悪魔~」からですよね。つまりレコードデビューから3年半後、解散の1年前。そのあと、1978年3月の解散直前のアルバム「早春譜」、解散の翌月に出たアルバム「キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン」と作詞の曲が、3人とも10曲ほど入ってますね。