38歳で大阪府知事、42歳で大阪市長に就任した橋下徹氏。府庁や市役所といった「組織」のリーダーとして、大胆に改革を実行してきた。彼はどのように問題を解決し、組織を動かしてきたのだろうか。橋下氏の最新刊『実行力 結果を出す「仕組み」の作りかた』から一部を抜粋して、今回は「反対派との向き合いかた」を紹介する。
府庁内からも批判を浴びた
大阪府収支改善の大改革
1998年、橋下綜合法律事務所を開設。2008年に38歳で大阪府知事、2011年に大阪市長に就任。大阪府庁1万人、大阪市役所3万8000人の組織を動かし、絶対に実現不可能と言われた大阪都構想住民投票の実施や行政組織・財政改革などを実行。2015年、大阪市長を任期満了で退任。現在は弁護士、タレントとして活動。 撮影:的野弘路
僕は、大阪府知事に就任した直後、大阪府政の基本方針を定めて、それを実行していくチームを編成することにしました。
人事担当の総務部長に「こういうことを実現するための人材が欲しい」という方針を示して、実際の選考は総務部の責任でやってもらいました。僕の思い通りの人が来るとは限りませんし、力不足の人もいるかもしれません。
しかし、百発百中で適材適所の人事ができるわけはありませんから、総務部にやってもらってダメだったら、交代してもらうしかないとある意味開き直っていました。
僕が知事に就任した当時の、大阪府にとって最大の難問は、減債基金問題でした。簡単に説明しますと、のちの借金返済のために積み立てていたお金を、目先の予算のために毎年使っていた、ということです。
減債基金約5200億円に穴が開き、毎年約1100億円ずつ収支改善をしなければならない状況でした。役人たちは「こんな大規模な収支改善の大改革は、絶対にできるはずがない」と言っていました。
僕が知事に就任したのは2月初旬。既に前任知事が来年度予算を組んでおり、府庁も議会も僕はそれを踏襲するものだと思っていました。しかしそれでは収支改善はまったくできません。僕は、一度組まれていた大阪府の予算をひっくり返して見直す方針を出しました。予算を止めたのです。それはそれは大阪府庁内や大阪中で大騒ぎになりました。そしてその年間約1100億円という途方もない収支改善を実行するために改革プロジェクト・チームを編成し、そのリーダーになってもらったのが小西禎一さんです。