通り魔犯人は大抵、強烈な被害者意識を持っています。
川崎市の通り魔事件に関して、ネットで「犯人叩き」をめぐる論争が起きている Photo:JIJI

川崎市で起きた通り魔事件に関して、「死にたいなら他人に迷惑をかけずに1人で死ね」という意見と、「そういう批判が次なる犯罪のトリガーになる」と諌める意見が出て論争になっている。しかし、事件記者として凶悪犯罪者と多数話をしてきた経験から言うと、犯罪者に安易に共感することも、彼らの恨みを爆発させる危険な行為である。(ノンフィクションライター 窪田順生)

「社会に恨みを持つ人」に
配慮しすぎるのも犯罪助長になる

「そんなに死にたいなら他人に迷惑をかけずに1人で死ね」「だから、そういう批判をすると、孤独を感じている人の憎悪をさらに増して、同様の事件が起きるんだって」――。

 川崎・登戸の殺傷事件で、凶行後に岩崎隆一容疑者がなんの躊躇もなく自殺したことを巡って、ネットやSNS上で議論が起きている。

 最初から死ぬつもりだったのなら、なぜ無関係の人々を巻き込んだのだ、と身勝手な犯行を厳しく断罪する人もいれば、義憤にかられて犯人を叩いても、第二、第三の無差別殺傷犯を生み出すだけだ、と諌める方もいらっしゃる。

 人間は、「自分が誰かに大切にされている」と実感できなければ、他者も大切に扱うことができない。要するに、「クズ」「カス」「迷惑をかけずに、ひとりで死ね」と犯人をディスることは、犯人と同様に社会を憎み、自暴自棄になりかけている人間を追いむことにしかならず、「死ぬ前にクソみたいな社会に復讐してやる」なんて感じで、大量殺傷の背中を押していることになる、というのだ。

 ご指摘はもっともだと思う。ただ一方で、だからといって、岩崎容疑者への非難を控えましょうという空気にも、危うさを感じる。

 どんなに社会から孤立しようとも、虐げられようとも、罪のない子どもを刺していい理由などない。そのように、ダメなものはダメとして社会全体で厳しく断罪しなくてはいけないということもあるが、もうひとつ大きな理由がある。

「社会に恨みを持つ人」への「配慮」も、度を越してしまうと、第二、第三の無差別殺傷事件のトリガーになってしまうこともあるからだ。