高齢者の運転相次ぐ高齢者運転による事故。高齢者の運転を制限すればいいのかというと、ことはそう単純ではないそうです Photo:PIXTA

高齢者が運転する自動車による悲惨な事故が相次いでいる。それなら高齢者の運転を制限すればいいと筆者は考えているが、政治的には容易ではないようだ。その理由について考えてみよう。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)

正義の反対は、もう1つの正義

 正義の反対が「悪」なのであれば話は簡単であるが、実際にはそうとは限らない。多くの場合、正義の反対は「もう1つの正義」なのである。世の中は単純ではないから、難しい。

 高齢者には、運転する権利がある。この権利を守ることは正義である。しかし一方で、高齢者の運転する車に轢かれない権利を全国民が持っている。これを守ることも正義である。両方の正義にどのように折り合いをつけるのか、というのが本稿の課題である。

 そもそも、便利なものは危険である。自動車もナイフも原発も。さすがにナイフを禁止するわけにはいかないだろうが、銃は規制されているし、原発についても規制基準の下にある。要は、どこで線引きをするのかが大切だ。

 自動車についても、極論すれば「そもそも時速20キロ以上で走れないように作れ」と決めることもできるはずである。さすがに筆者もそこまでは求めないが、今の規制は緩すぎるように感じている。

 せめて「高齢者の免許は毎年更新にする」「年齢にかかわらず、すべてのドライバーに更新時のシミュレーターでの運転試験を義務付ける」「運転に問題があるドライバーは時速50キロ以上で走れない自動車に限定した上で、都市部での運転を禁止する」といった規制は必要だろう。もっとも、これらは理屈ではなく感覚の問題であろうから、議論をしても仕方ないのだろうが。