企業型ナショナリズム、文化アイデンティティー、
そして社会の主流

 V9ジャイアンツはNPBを席巻し、プロ野球を一変させた。しかし、彼らの影響はそれだけにとどまらなかった。偶然の一致ではあるが、V9は日本が世界の経済史上まれに見る急成長を見せ、日本固有の企業観と民族文化が生まれた時期と重なっていた。ジャイアンツは“株式会社ニッポン”をスローガンとする日本ビジネス界と、日本式運営のイメージを強烈に増幅させ、その正しさを証明する役割を担った。1960年代中盤から後半は、国内の実業家と識者によって“日本の会社制度”のイメージが伝統に縛られた非効率的なアナクロニズムから、西欧式を上回る効率的で前向きな日本独自のスタイルへと刷新されていった時期だった。硬直的で原始的と国内外で揶揄された日本企業が、後期資本主義組織の規範ともなりうる強力で先進的な“東洋式協調主義”の象徴に変わった。その主な中身は従来の西欧式資本主義の論理と矛盾したが、以下のような特徴の下、団結と協力を通じて強さを築くと謳われた。

・終身雇用(企業と一蓮托生だという感覚を生む)
・新卒は一番下からの出発(途中で転職はしない)
・一般的な学力を重視して採用(専門技術は求めない)
・年齢に応じた昇給と昇進(年功序列社会)
・企業ベースの組合(技能ベースではない)
・会社によるキャリア管理と充実した研修、手厚い社会保障

 そしてジャイアンツが象徴的に示すように、プロ野球はそうした企業式の権威と規律の正しさを一般に示すのにうってつけだった。こうしてジャイアンツは、国家の権威を示し、民族的なプライドをくすぐる役割を一手に引き受けるようになっていった。

 それでも、こうしたよくできたイメージとジャイアンツ野球の否定しようのない成功の裏側に、矛盾や抑圧、犠牲があったことを見通すのはさして難しくない。その傾向はジャイアンツワールドだけでなく、広くプロ野球界、特にパ・リーグとタイガースにもあった。長嶋や王、あるいはその他のV9の立役者(堀内恒夫など)は、確かにジャイアンツでキャリアを全うした“終身雇用”の選手であり、三菱のサラリーマンが生涯三菱であるように生涯ジャイアンツを貫いた。ところがメンバーをよく見ると、当時のジャイアンツは戦力を保つために有名スターを外から獲得していることがわかる。

 張本勲や殿堂入り投手の金田正一はキャリアの絶頂期にジャイアンツへ引き抜かれ、チーム力を底上げした。川上は現実的な日和見主義者で、同時に隠れた偽善者でもあった。国民の誰もが“我ら日本人”を誇りにし、文化的ナショナリズムを支持した時代に、川上の純国産の方針は日本人の心の琴線に触れるものではあったが、中国人の父親の下に生まれ、自身も中華民国国籍である王と同様、張本は在日韓国人二世であり、社会的制約を強いられていた。ほかにも、国民の成功物語たる“日本のチーム”の裏の顔を示す逸話(チームが記者や審判、リーグ関係者、後援者を脅していたことなど)は多数ある。60年代には、他球団にも組織構造やイメージの企業化がみられた。確かに各チームは当初からメディア企業や私鉄の所有で、企業の計画に組み込まれてはいたが、チームそのものは時季的な存在で、サポートや管理を行なうスタッフの数は最小限だった。シーズンを通じてチームを宣伝し、常勤の職員から成る本物のフロントを備える方式は60年代に生まれた。登録人数とスタッフ数が拡大し、チームの上に置かれるフルタイムの球団に、正社員と親会社の出向社員が常駐するようになった。子会社としての球団が生まれ、球団は企業型の組織モデルに否応なく組み込まれた。年功序列や絶対的な上下関係、業務の進め方、意思決定の手順に日本式が持ち込まれることで、野球球団はビジネス界やファンの世界に近い性質を帯びていった。