つまり、市教委は、男性教諭の証言の方が、確実だと判断したにもかかわらず、その根拠となるべき、市教委自体が聴取した事実関係ですら、別の解釈ができると、同時に認めているのだ。

 そもそも、震災から5日後に作成された3月16日付けの「聴き取り書」の存在ひとつとっても、次のような問題がある。子どもたちが避難すらしていなかった可能性をも示唆する文書が、私たちが開示請求したことで初めて、今年の5月半ばにもなって出てきたのだ。

 市教委は今年1月22日の説明会で、事故後の大川小関連の資料は、「これがすべてといっていい」「今後は、知り得た時点でこちらの窓口を通じて知らせるような形で進めていきたい」(学校教育課山田元郎課長)と話していた。

会見で、適切な情報開示を怠っていたとして謝罪した境教育長。(2012年6月19日、宮城市石巻市)
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 教育長は、遺族に回答書を手渡した時にではなく、その後のメディア向けの会見で、「適切な情報開示を怠っていたということで、大変申し訳ありませんでした」と謝罪した。そして、すべての資料をもう一度確認するという約束をした。

 また、その開示日から日付をさかのぼるが、同じく私たちに今年4月27日に初めて開示された「柏葉大川小学校長聞き取り調査記録」という文書がある。4月16日に、私たちが市教委とやりとりをしていたなかで、存在することがわかったものだ。

「え、あったんですか? 今まで誰も開示してないんですか?」という私たちの驚きに対し、課長補佐が「こちらから、わざわざお知らせすることでもありませんので」と答えている。

 これらの文書が私たちに開示された日から、遺族の紫桃さよみさんが6月14日に自ら複写請求を行うまで、1ヵ月半、あるいは1ヵ月の期間があった。この間、教育委員会が、新たな資料が見つかったと、遺族の側に連絡を入れた形跡はない。