女川町、雄勝町、北上町。石巻の市街地を外れると、震災後ひと月以上がたった今も被災直後から時が止まったかのような景色が広がっている。津波によって壊滅した集落のなかには、人の気配はほとんどない。まれに重機ががれき撤去の作業をしている所もあるが、ほとんどの集落では風と波の音、ウミネコやカラスの鳴き声以外聞こえてこない。ほんのわずかではあったが、営みの音を忘れたそんな静けさのなかにたたずむ人々に出会った。
思い出は「玄関のタイル」だけ
“なにもない”我が家へ毎日訪れる人々
Photo by Yoriko Kato
女川街道沿いにある女川町黄金町地区。女川港から高台にかけて細長く伸びる谷筋の集落は、格好の津波の通り道となった。女川港を襲った津波の高さは約15メートル。海から1キロほど入った住宅地でも、10メートルを軽く超す高さの水が押し寄せた痕跡がある。高台の町立病院でさえも、1階まで浸水したというから、女川を襲った津波は驚くほどの高さだった。
集落を埋めるがれきの中、我が家があったであろう場所で、家財道具や写真を拾っては捨てている夫婦がいた。
Photo by Yoriko Kato
「なんもねぇ」「なんもねぇが」
吐き捨てるように言った夫に、妻が返す。
ほどなくして2人は何も持たずにその場を離れていった。
逃げながら町が津波にのみ込まれる様子を見たという主婦のサイトウさん(67)も、残ったのは家の基礎部分だけだという。唯一思い出につながるものという玄関のタイルの前にたたずんでた。
「この辺の人はほとんど助からなかった。うちの隣でも2人、向かいは4人、避難所になっていた老人憩の家に、揺れの後に逃げた人は全員流された」
指差した100メートルほど先の「老人憩の家」は、板張りの床だけが残っていた。犠牲者はみな、地域でずっと一緒に暮らしてきた知り合いばかりだ。