元財務大臣が十代の娘に語りかけるかたちで、現代の世界と経済のあり方をみごとにひもといた世界的ベストセラー『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ヤニス・バルファキス著、関美和訳)が話題だ。
ブレイディみかこ氏が「近年、最も圧倒された本」と評し、佐藤優氏が「金融工学の真髄、格差問題の本質がこの本を読めばよくわかる」と絶賛、朝日新聞(「一冊で仮想通貨や公的債務の是非、環境問題まで網羅している」「知的好奇心を刺激するドラマチックな展開に、ぐいぐい引き込まれる」梶山寿子氏評)、読売新聞、毎日新聞、週刊文春等、多くのメディアで取り上げられ、経済書としては異例の13万部のベストセラーとなっている。その魅力はどこにあるのか? 前回記事「先進国最低!? 選挙をスルーする日本人の末路」に続き、参院選を前にして、同書よりぜひ多くの人に読んでほしい一節を紹介する。

「無力感」が投票に行かせない

 前回記事では、問題山積であるにもかかわらず、7月21日(日)の参院選が史上最低の投票率になるかもしれないという予測に触れた。その理由は、人々が政治に抱いている「無力感」と「他人まかせ」の感覚だ。立て続けに起こる政治のモラルハザードを前にして、多くの人が「自分がなにをしても変わることじゃない」と無力感を覚えている。さらに、「よくわからないから、わかってる人が動いてくれれば」という投げやりな感覚を抱いている人も多い。

 なぜわれわれは、政治や経済のことは専門家にまかせていればいい、と思ってしまうのだろう。『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』より、示唆的な一節を引用したい。

「支配者たちはどうやって、自分たちのいいように余剰を手に入れながら、庶民に反乱を起こさせずに、権力を維持していたのだろう?」
 私はこの本の第1章でそう聞いた。私の答えは「支配者だけが国を支配する権利を持っていると、庶民に固く信じさせればいい」だった。
(中略)
 19世紀以来、経済学者は本を書き、新聞に論説を投稿し、いまではテレビやラジオやネットに出演し、市場社会のしもべのようにその福音を説いている。一般の人が経済学者の話を聞くと、こう思うに違いない。
「経済学は複雑で退屈すぎる。専門家にまかせておいたほうがいい」
 だがじつのところ、本物の専門家など存在しないし、経済のような大切なことを経済学者にまかせておいてはいけないのだ。
 この本で見てきたように、経済についての決定は、世の中の些細なことから重大なことまで、すべてに影響する。経済を学者にまかせるのは、中世の人が自分の命運を神学者や教会や異端審問官にまかせていたのと同じだ。つまり、最悪のやり方なのだ。
(中略)
 人を支配するには、物語や迷信に人間を閉じ込めて、その外を見させないようにすればいい。だが一歩か二歩下がって、外側からその世界を見てみると、どれほどそこが不完全でばかばかしいかがわかる。『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』より。太字は引用者)

 著者は、支配者は自分たちの権力を守るために、「支配者だけが支配する権利を持っている」と庶民に信じ込ませることで権力を維持してきたと説明する。「自分たちにはなにもできない。支配者だけが世を支配できる」と思わせるには方法がある。

 たとえば「官僚的」という言葉は、硬直的で本質的でない手続きが多く煩瑣なさまを表す言葉として使われるが、国を動かす官僚システムは、古今東西、そしていつの時代も、文字通り官僚的で、簡単には一般人の介入を許さない。

 そんなシステムに対して何かを変えようとしても面倒が続きイヤな気分になるばかりで進展がないと、人は無力感を覚え、「もういいや。勝手にしてくれ」となってしまうものだ。だがじつは、それこそが支配者たちの思うツボだ。支配者たちは「煩瑣な手間」と、人々に与える「無力感」でシステムを守ってきた。

「官僚的」なシステムに屈しないためには、わずらわしさに負けずに知識を蓄え、考え、行動すること以外にない。著者は、そうした意欲を持つ人を少しでも増やし、少しでも世界をいい方向に動かすために、本書のような、きわめてユニークな経済の入門書を書いた。