「1990年代はブラジル人選手を『幹』に据えて、日本人選手を『枝葉』とするチーム作りをしてきました。しかし、Jリーグ全体で身の丈に合った経営が求められた2000年を境に日本人選手を『幹』として、どうしても足りない『枝葉』の部分をブラジル人選手で補う方針へ大きく変換しました」

 チーム作りの手法をこう明かしたことがある鈴木強化部長は、さらなる想定外の事態に直面する。2000年代の中頃から強くなったJリーガーたちの海外志向は、日本代表がベスト16へ進出し、海外から注目されるようになった2010年のワールドカップ・南アフリカ大会を境に一気に加速される。

 アントラーズを例に挙げれば、2010年7月にDF内田篤人がブンデスリーガ1部のシャルケ、2014年1月にFW大迫勇也(現ベルダー・ブレーメン)が同2部の1860ミュンヘン、2017年1月にはMF柴崎岳(現デポルティーボ・ラコルーニャ)がスペイン2部のテネリフェへ移籍している。いずれも次世代のリーダー候補として育ててきた選手たちだった。

「言い方はすごく悪くなるかもしれないけれども、出場機会を求めて『枝葉』の日本人選手が移籍していくとのとは大きく異なり、主軸に育て上げた『幹』の選手が海外移籍でいなくなれば、膨大な時間をかけてきたチーム作りを根本的に変えなければいけなくなる」

 こう振り返ったこともある鈴木強化部長は、3人が今もアントラーズに所属していれば「もっと、もっと強いチームになっていますよ」と苦笑いしたことがある。同じ論理が昌子と植田にも、そして今夏に新天地へ旅立った安西、安部、鈴木にももちろん当てはまる。

 全力で慰留こそするものの、それでも最終的には選手たちの意思を尊重してきた。サッカー人生の中でも“旬”と呼ばれる時期は、決して長くはない。縁があってアントラーズというクラブで出会ったからには悔いを残すことなく、思い描く道を歩んでいってほしい――鈴木強化部長が今も胸中に抱く思いは、こんな言葉に凝縮されている。

「サッカー人生は一回限りですし、選手の夢でもある海外移籍を阻止するつもりもありません」

 だからといってクラブが弱体化してしまえば、旅立っていった選手たちを憂慮させる。常勝軍団の看板を守り、貪欲なまでにタイトルを獲得し続け、クラブ全体をさらに輝かせるためには、チーム作りの手法を時代の流れに合わせるしかない。