宇宙ができた瞬間に『善』は生まれた?

 答えに詰まり、問いを繰り返す僕。
 考えてみれば、三角形の定理自体は間違いなく存在すると思うが、でも、見たり触れたりできるものじゃないから、物質としてこの世界に存在しているわけじゃない。もちろん「存在しない」とも言いがたい。だとしたら……。

「数学界……とか?」
 追い詰められて変な単語を口にし、教室に失笑が起きる。

「なるほど。その数学界とは、数学のあらゆる定理がふわふわと浮かんで存在している異次元の世界みたいなところだろうか。だとしたら、それはプラトンと同じ考え方をしていると言えるね」

 先生は、バカにすることなく優しい目で言う。
 たしかに、そうなってしまうか。見たり触れたりできないものを「存在する」と言ってしまった時点で、僕も、物質を超えた世界を想定してしまっているわけだ。

「では、こう表現してみたらどうだろう。宇宙ができた瞬間から、三角形の定理という法則性が、何らかの形で、とにかく存在していた。そして、その後、人間が生まれ、その定理の存在に気づいた……というぐらいの言い方であれば、正義くんも納得してもらえるのではないだろうか?」

 それぐらいの言い方なら、まあ納得はできる。僕は首を縦に振った。
 なるほどな。世の中には、見たり触れたりできないけど、明らかに『存在する』と言えるものもあるわけなのか。

「では、ここからが本題だ。いまの話の三角形の定理のところを、善という言葉に置き換えてみてほしい。つまり、宇宙ができた瞬間から『善』という概念が何らかの形で存在しており、人間は後からその存在に気づいた―ということだが、さあ、このように考えることは果たして可能だろうか?」

 理屈としてはわかるけど……。いや、さすがに、ちょっと無理があるな。先生から、目線で回答を促されたので僕は答える。

「えっと、善や正義は、数学上の定理とは違って、人間が生み出した概念にすぎないと思います。だから、人間がいなくなった時点で消え去ってしまうんじゃないかと……」

「なるほど。人間がいなければ善の概念は存在しない、だから、人間が存在する前から、善という概念が存在していたという理屈はおかしい、というわけだね。たしかにそうかもしれない。だが、仮に人間が絶滅したとしても……、何千億年後に、全然違う星で、全然違う知的生命体が生まれたとしたら、彼らもやはり、我々と同じ『善』の概念を持っているのではないだろうか」

 別の星で、宇宙人が、地球人と同じ『善』の概念を持っている? 急に突飛な話になったぞ。そんなの、たまたま人間と同じように考える生物が他にいたというだけの話で、いったい何の意味があるのだろうか?

「いや、すまない、少し脱線したようだ。この話はまた後でするとしよう。とにかく、イデア論は『人間が存在するよりも前に、善という概念が宇宙に存在していた』という立場だということ。賛否はともかく、プラトンは、そう主張をしたということだ」

次回に続く