ふと怖さを垣間見る
日常の風景に潜む人の本質

 最初はジャブ程度の怖さのものから。

 先日、筆者は妻と連れ立って子どもの予防接種のため病院に行った。小児科専門のその医院はメルヘンチックな外装の建物であり、中も青空と雲の壁紙が貼ってあったり小人の人形が置いてあったりと、そこそこメルヘンであった。

 わが子の順番がくると、処置室にいる優しそうなおじさんのお医者さんが名前を呼ぶのだが、それが「そこまで張り上げなくても全然大丈夫ですよ」というくらいの音量で、しかもものすごい早口で勢いよく言うため、例えば「ムトウハナコさん」と呼ぶなら「ムツハコさん!」ときっかり4文字で発音する。どの子を呼ぶのもその調子である。

「『メルヘンっぽい病院に旧式ロボットのような発音のお医者さんがいる』というギャップが怖い」という話にしたいわけではなく、「メルヘン医院のロボットじみた発音のお医者さんが子どもに注射を刺しまくっている」という話にしたいわけでもない。この話にはきちんと続きがある。

 待合室は予防接種に来ているよその子らがたくさんいて、子ども同士で勝手に見つめ合ったりするものだから自然と保護者同士で会話が生まれる。その中で話した、ほっそりした色白のおとなしそうなお母さんが、処置室を出てきて、注射後も泣かずにポヤーッとしている子どもを抱きかかえ、座って待つうちにいきなり目をうつろにして「声ちっせーんだよクソ医者が」と呟いたのである。これには衝撃であった。

 あの大和撫子(やまとなでしこ)然としたお母さんの口から、かような台詞(せりふ)が漏れるとは。ロボット音声ではあったが全体として感じのいい先生であり、他の患者から憎まれていようとは露ほども思っていなかった。他の患者に「声が小さい」と評されている点や、そもそも声が小さいことにそこまでの憎悪を向けられるのかという点で驚きがあったが、やはり何より、あのお母さんの二面性が大変恐ろしかった。

その場にいなければ何でもあり?
悪評を振りまく地位確保マン

 ミュージシャンのAさん(36歳男性)が駆け出しの頃、そこそこ売れているアーティストのバックバンドで演奏を務めることになった。自分はペーペーであり、周りはベテランばかり。まずは周りについていこうと必死であった。ここでいい結果が残せれば、これからの仕事の幅も広がる。