生存戦略上、「逃走」は最も有効な戦略
危機に直面した生物は「戦う」か「逃げる」かのどちらかの選択を瞬時にします。では人間はどうかというと、多くの場合はこの2つのオプションを取るよりも「じっと耐える」「なんとか頑張る」という選択をします。
多くの人間が採用する、この選択肢を選ぶ動物がいない理由はなんだと思いますか。実に単純な話で、そのような選択をした生物は絶滅してしまった、ということです。つまり、危機に際して「じっと耐える」とか「我慢してやり過ごす」というのは、個体の生存という観点からは非常に不利な「悪いオプション」だということです。
私たち日本人は幼少期から「逃げてはいけない」という規範を叩き込まれます。しかし考えてみれば、生物の生存戦略として最も広範囲に用いられている戦略が、人間の世界において厳しく戒められているというのもおかしな話です。
なぜ、私たちは「逃げる」ということをネガティブに考えてしまうのでしょうか。このような規範が社会的に淘汰されずにいまだに残存しているということは、「逃げない」という規範に社会システムを効率的に機能させる合理性があったということでしょう。
理由は2つあります。1つ目の理由は「逃げる人」が出てくると、自分の選択に自信が持てなくなるからです。これは転職の局面を考えてみればわかりやすい。
同期入社の中から転職者が出てくると「自分はこのままでいいのか」という一抹の不安に囚われることになります。この不安を払拭するために「逃げる」ことを戒めるのです。
2つ目の理由は、逃げる人が出てくると他の人の負担が増えるからです。コミュニティを維持するためには何らかのルーチンワークが必要になります。この仕事をコミュニティの構成員に割り振って分担することになるわけですが、ここで逃げる人が出てきてしまうと他の人が逃げた人の仕事を肩代わりしなければなりません。
これはコミュニティのメンバーにとっては大きな負担になります。なので「逃げてはいけない」ということが規範化されるわけです。
確かに、ある場所から逃げれば、そこで担っていた役割は他の誰かに肩代わりしてもらうことになります。それを心苦しく感じて「逃げてはいけない」と考えて頑張り続けてしまう人が多いのでしょうが、その結果として心身を壊してしまっては元も子もありません。上手に「逃げる」ことは戦う上でも極めて重要な能力になります。
これが最も端的に現れるのが軍事における「撤退」の局面です。たとえば魏晋南北朝時代に編まれた有名な兵法書『兵法三十六計』の最後には「走為上=走るを上と為せ」という項目があります。これはつまり「逃走は最善の策である」という意味です。
有名な孫子の兵法にも同様のメッセージがあって、つまり「勝ち目がないとわかったときには損失を最小化するために迅速に撤退する」のは戦略的に極めて正しいということです。
一方で、これをなかなかできずに国を滅亡の寸前まで追い込んでしまったのが旧日本軍のエリート軍人たちでした。太平洋戦争の戦死者はおよそ300万人と推計されていますが、死者の多くは最後の1年に出ています。
これは一般人の犠牲者についても同様で、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下などはすべて1945年3月以降のことです。1942年のミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った時点で講和をしていれば、あそこまで大きな犠牲は出さずに済んだはずです。これもまた「逃げる」ことが上手にできなかったことで生まれた悲劇ということができます。