行き先が決まっていなくても「逃げる」ことの大切さ

 浅田彰が指摘するポイントの2つ目が「逃げる」という点です。浅田彰は「パラノ型」を「住むヒト」と定義した上で、「スキゾ型」を「逃げるヒト」と定義している。

「住むヒト」に対置させるのであれば、「移住するヒト」とか「移動するヒト」という定義の仕方もあるのに、そうはせずに「逃げるヒト」という定義を用いている。ここは非常に鋭いと思います。

「逃げる」というのは、別に明確な行き先が決まっていなくとも、とにもかくにも「ここから逃げる」ということです。このニュアンス、つまり「必ずしも行き先がはっきりしているわけではないけれど、ここはヤバそうだからとにかく動こう」というマインドセットが、スキゾ型だと言っているわけですね。

 キャリア論の世界では「自分が何をやりたいか、何が得意なのかを考えろ」とよく言われます。この点はすでに拙著『仕事選びのアートとサイエンス』でも指摘したことですが、私はこんなことを考えるのはほとんど無意味だと思っていて、結局のところ、仕事は実際にやってみないと「面白いか、得意か」はわかりません。「何がしたいのか?」などとモジモジ考えていたら、偶然にやってきたはずのチャンスすら逃してしまうでしょう。

 行き先などは決まっていなくても、「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げる、というのがニュータイプの行動様式になる、ということです。もっと目を凝らし、耳をすまして周りで何が起きているのかを見極める。

 先に挙げた浅田彰の抜粋では「たよりになるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ」とありますが、これは筆者が『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』において、「積み上げ型の論理思考よりも、大胆な直感が大事だ」と指摘したのと同じことです。周囲が「まだ大丈夫」と言っていても、「危ない!」と直感したらすぐに逃げる。

 ここで重要になってくるのが「危ないと感じるアンテナの感度」と、「逃げる決断をするための勇気」ということになります。往々にして勘違いされていますが、「逃げる」のは「勇気がない」からではありません、逆に「勇気がある」からこそ逃げられるんですね。