「どんどん逃げる」ことで社会が良くなる

 さて、ここまで「逃げる」ことが個人にもたらすメリットについて考察してきましたが、ここでは「逃げる」ことで、社会システムもまた改善される、ということを指摘しておきたいと思います。

 第8回において、「意味」の問題を扱った際に、現在の先進国では「クソ仕事の蔓延」という問題が起きていることを指摘しました。実はこの問題に対する、最善の対応策は「逃げる人を増やす」ということだと指摘すれば意外に思われるでしょうか。

 クソ仕事がそのまま残存し、蔓延しているということは、つまるところ労働市場がうまく機能していない、ということを意味しています。クソ仕事から人々がどんどん逃げていくことになれば、意味のないクソ仕事しか生み出せない経営者や管理職は立ちいかなくなり、労働市場から排除されることになります。つまり、多くの人がどんどん「逃げる」ことで、社会全体の健全性は高まるということです。

 私たちは「一所懸命」という言葉を無条件にポジティブな表現として考えてしまいがちですが、この言葉はもともと、中世日本において、各々の在地領主が本貫とした土地を「命がけで守り抜く」という覚悟を表したものです。

 つまり「土地のオーナー」が持つべき覚悟を表している言葉なんですね。オーナーでもない領民の覚悟ではなかったわけです。しかし、これがいつしか、土地のオーナーである領主が、その領地で働く人々に対して押し付ける「弱者の道徳」に転化していったわけです。

 昨今の日本では、いい年をした大人による破廉恥な不祥事が後を絶ちませんが、このような人物が大量に生み出されることになった社会的要因もまた、この「一所懸命」という弱者の道徳によると考えることもできます。

 不甲斐ないリーダーに対して、これを是正させるための契機として下にいる人間が取れるオプションは「オピニオン=意見をして行動をただす」「エグジット=その人のもとから逃げ出す」かの2つしかありません。

 日本の権力格差指標は相対的に高い水準にあり、下の立場にある人間から上の人に対して具申をすることには大きな心理的抵抗が生まれます。ましてや、傍若無人な振る舞いをする未成熟な人物に対して意見するのは、誰にとっても憚られることでしょう。

 であれば、取りうるオプションは「エグジット」ということになります。先述した通り、権力をカサにきて子どもじみた振る舞いを繰り返すような人物であっても、周囲に誰も取り巻きがいないという状況になれば、権力のふるいようがありません。

(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。神奈川県葉山町に在住。