13歳から「性」と「カネ」一筋
マイカは、リナと同じ1991年生まれ。大阪市西成区で育った。リナと2人でいるときには、お互いにコテコテの大阪弁で話をする。
「私もおじいちゃんが中国人、おばあちゃんが日本人のクォーター。母親がハーフで父親は日本人。だからかもしれないけど、なんかガイジンと気が合うんだ。それもアメリカ人とかネクタイしてる白人とかはダメ。今まで付き合ってきたのも、だいたいガイジン。イラン人、バングラデッシュ人、フィリピン人、中国人、韓国人、ブラジル人、アフリカの黒人……日本人もいるけど続かないんだ。なんでかよくわからないんだけど」
リナの生い立ちの軸となるものが「薬」と「暴力」だとするならば、マイカのそれは「性」と「カネ」だった。
「援助交際みたいなのは、中学1年生の頃からやってた。単におカネが欲しかったから。だってうち、一銭もお小遣いなんてないから。自分で稼ぐしかない。小学生の頃からファッションとか興味あって。あ、ギャル系ね。中学生になったら服とか化粧品とか欲しいじゃないですか。若いほうが儲かるんですよ。相場高いっていうか」
援助交際の相手は、現在もそうであるように、街で探す。
「一番はじめの人はよく覚えている。友達と地元のゲーセンにいたら、声をかけられたんだ。歳は30歳くらいかな。何やってる人かって、それは全然わからない。中1の頃だから、そんなことに興味ないし。『お小遣いあげるから、ちょっと遊ばない?』みたいなことを言われた。すぐに何のことかわかったよ」
ターゲットは、華奢な酔っぱらいサラリーマン
マイカは“援交ギャル”の道をひた走っていた。しかし、18歳のときに勤めていた風俗店の顧客を、禁止されていた“本番行為”に誘ったことが発覚。さらに、ホストクラブへの借金が300万円にものぼったことによる過酷な取り立てに絶えられず、逃げるように上京した。
「もう逃げちゃおうって感じで、知り合いのコを頼って、最初は新大久保の中国人のコの家に居候してた。その後、ブクロとか西武線沿線の店でキャバをちょっとだけやったんだけど、つまんなくて辞めて。あ、つまんないっていうか儲からないから。ホストと遊びたいし、もっとおカネがほしいと思って、デリに行ったの。歌舞伎町に事務所があるデリ。そんでリナと出会ったって感じ」
「移動キャバクラ」を開業した当初は、客を捉まえようと歌舞伎町の通りに立ってみたが、すぐにそこを縄張りとする客引きに「上にエンソ(上納金)払ってんのか!」と脅された。
「区役所通り、さくら通り、一番街、全部行ったけど、どこもダメ。前に一緒に働いていたキャバ嬢でちょっと仲よさげだったコも、平気でチクったりするんだ。こいつら全然信用でけへんと思ったわ」(マイカ)
繁華街のメインストリートでの「商売」の難しさを身に染みて知ることになった彼女たちは、池袋西口や新宿アルタ前などを中心に、もしトラブルに至っても危害を加えられる可能性が低そうな、華奢な体格をした、酔っ払っているサラリーマンを物色するようになった。