「カネ稼いでいい思いしてるやつが、困っている家族の面倒も見ずに税金を使うなんてとんでもない」。生活保護受給問題で、錦の御旗に掲げられた「社会がいくら冷たくても、家族だけは個人を守ってくれる。そうあるべきだ」という強固な規範。しかし、口汚く「不正受給者」を罵った者のうちのどれだけが、本気でその規範を信じ、あるいは貫き通しているのかはわからない。
社会学者開沼博は、3人の「新郎」とともに異国・フィリピンの地を訪れ、彼らの「縁談」に同席した。そこに、笑顔の絶えない夫婦生活を誓い合う新郎新婦や、2人の結婚を祝福する親族など存在しない。それは、ただ無機質に、愛情も、憎しみすらも生まれない、偽りの結婚契約が交わされる現場だった──。
かつて異国から日本の富を求めて訪れてきた者たちが、「あってはならぬもの」とされ行く現代。これまでほどの富を得る力を持たない日本に生成される“貧困”が、それを漂白していく。「偽装結婚」という「家族」形成を通して。
日本とフィリピン。2つの国の“貧困”の狭間。そこに生きる男女は、偽装結婚という道を選んだ先にどんな未来を描いているのだろうか。連載は全15回。隔週火曜日に更新。
フィリピンに足を踏み入れた3人の「新郎」
フィリピン・マニラにあるホテルの喫茶店。私が同行者たちと談笑していると、一人の年配者が6人のフィリピン人女性を連れながら店に入ってきて、少し離れたテーブルに座った。
「オレ、たぶんあれだ……」
目の前に座るTからは「事前に写真を見た」と聞いていた。Tがこうつぶやくと、向こうもこちらに気がついて笑顔を向ける。しかし、「会話」はそれだけ。ふたたびそれぞれのテーブルでの雑談が始まった。
これから結婚手続きをする3人の女は、みな若くて華奢で実に楽しそうな笑顔で話しているが、その表情にはどこか緊張と覚悟がうかがえる。
日本の夏の暑さも耐え難いが、それ以上にフィリピンの首都マニラの暑さは湿気が強く、しかもある時期で終わりを迎える類いのものではない。室内に入ればうるさく鳴り響くクーラーが24時間・年中無休で稼動し、その中で熱湯が注がれたばかりのインスタントコーヒーを飲むことになる。
「ガイジンと結婚しないか?」突如持ち込まれた縁談
Tがこの「旅行」の誘いをはじめて受けたのは3ヶ月前のこと。
「『ガイジンと結婚しないか?』って聞かれたんで『わけわかんねーよ。なんでだよ』って返したら、毎月金が入るっていうから……」
Tには、30代も後半で離婚してから、また以前のように遊んでくれるようになった地元の友人がいる。彼の口から出た条件は、海外旅行と豪遊、そして毎月4万円が寝ていても懐に入る不労所得だった。
もちろん、真っ先に脳裏をかすめたのは「戸籍が汚れたら人生終わりだ」という「常識」だった。しかし、そんな「きれいごと」などすぐに消え失せた。
地元の高校を出て、職を転々としつつも、それなりにまじめに働いてここまできた。だが、いくら働いても貯まらない金。周りには、早くに結婚し、子どもを持った友人もいる。
彼らの「まじめ」がそれを守るためだったら、自分の「まじめ」は何のためなのか。車のため? 家電のため? ブランド物のため?……。そんな自問自答を繰り返しているところにすっと入ってきた今回の「縁談」。
結婚相手は日本でしこたま稼ぎ、オレはその一部をもらう。何か自分の生活を拘束されることも、もちろん一緒に住む必要もない。誰も損をしないし、それどころか──。