郷里に帰ってからは、地獄の日々が待っていた。

「働かなければいけない」と郷里のハローワークに通ったが、どこに行ってもカラ求人。「パソコンできる人」というフレーズを見て経理事務職に応募しても、落とされる。

「今後の転職活動の参考のために」とお願いし、不採用の理由を聞くと「仕事がお茶くみなので女性しか雇わない」という会社ばかり。面接のときに「ハローワークから『ノルマを課せられてるから出してくれ』と頼まれて、仕方なく求人を出してるんだよね」と言われたこともあった。

東京の会社員時代と比べて
給料は半減した

 子ども2人を抱えたシングルファザーという話を聞いて面接官に嫌な顔をされ、断られたこともある。仕方なく、「家族のために」と、郷里の町でアルバイトの転職を繰り返した。しかし、やはりIT経験を活かせる仕事はほとんどない。

 上司は「帰るな」と拘束しているのに、「拘束しているわけではないから、サービス残業ではない」などと言われたこともある。給料は月20万円ほどで、東京でのIT企業時代から半減した。

 ある会社では、総務的な業務に就いた。それはエクセルをつくる仕事だった。

 自分のプログラミンク知識によって、1ヵ月分のエクセルをまとめるのに3日かかる仕事をボタン1つでできるようにした。すると現職の社員から、「仕事がなくなる」と怒られた。業務効率で評価してもらえない。

 見つかる仕事は、パソコンができても評価されない職場ばかりだった。IT化されていない会社はたくさんある。活躍できる場面はあっても、評価されないことが何よりもつらかった。

 こうして、東京時代の貯金が少しずつなくなっていく。将来の展望は何も見えない。佐藤さんは、生活していけない状況に陥った。

 実家の両親は70代。「なぜ仕事が続かないのか?」などと、現状を理解しようとしない。アルバイトを始めても続かない。子ども2人抱えて生活していける状況ではなかった。