善因楽果、悪因苦果
今回は、この連載にたびたび登場している広島市中区にある超覺寺の掲示板です。
「水戸黄門」として有名な徳川光圀の言葉に「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」があります。この掲示板はそれを元に作られたそうです。
徳川光圀の言葉は、いまの苦労はのちの楽につながるのだから、将来のために苦労も耐え忍ぶべきというものです。また、楽と苦は背中合わせであり、楽には苦が、苦には楽が付いて回るものという意味も含まれているようです。
ところがこの掲示板では「楽は苦の種」ではなく、「楽は苦の実」と言い換えています。これに対してはいろいろな解釈が可能だと思いますが、「種」と「実」という関係から「因果」を連想してしまいます。仏教には「善因楽果(ぜんいんらくか)、悪因苦果(あくいんくか)」という言葉があります。
善い行いをすればのちに幸せを感じ、悪い行いをすればのちに苦しみを感じる。お釈迦さまは過去世のことを問題とせず、あくまで現世の中で自分がした行為がのちの自分自身に影響を与えるという考え方をしていました。経典スッタニパータに以下の文言があります。
世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生けるものは行為に束縛されている。進み行く車が楔(くさび)に結ばれているように。
「スッタニパータ第654偈」(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫)
このようにお釈迦さまは行為を重視し、それに人々は束縛されると説かれています。自分の行為が原因となって、その後の「楽」や「苦」を生み出すわけですから、普段から自分自身の一つ一つの行為を細かくチェックすることが大切だといえるでしょう。
ただし、「苦」や「楽」の感覚はあくまで個人の受け取り方次第でもあります。古代ギリシアの哲学者のヘラクレイトスは「上り坂と下り坂はひとつの同じ坂である」という言葉を残しています。
坂はただの坂に過ぎません。そのときの自分が置かれている状況が「上り坂(楽)」なのか、それとも「下り坂(苦)」なのかはそのときの本人の心が決めるものであり、「下り坂(苦)」と思い込んでいても、実はそれが後の成功(楽)に大いに役立つ期間だったとあとになって分かることもたびたびあります。
ですから、短絡的に「楽」や「苦」と判断を下してしまう自分の勝手なものさしを信用しないことも非常に重要です。そのようなものさしにとらわれなくなると、無駄な一喜一憂がなくなり、人生の「楽」へとつながっていくのです。
今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!
なお、当連載をまとめた書籍『お寺の掲示板』が9月26日に発売され、この度、増刷となりました。ありがとうございます。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)