人間だれしも自己中心的
投稿者が「うまいとこついてくるな」とコメントしていました。本当にそうですね。
「人の悪口はうそでも面白いが 自分の悪口はほんとでも腹がたつ」
他人の愚かさや欠点をあげつらって揶揄するのはけっこう楽しいものです。でも、自分のことを悪く言われると許せない。つまり、自分の愚かさを受け入れることは非常に難しい。人間だれしも自己中心的なものなのです。
以前、仏教のテーマは「いま、ここ、自分」と申し上げました。仏教に触れるということは、教えを通していまこの自分が愚者であることを理解することでもあるのです。
愚かになりなさいとは
僧侶を養成する京都の仏教学院に通っていたとき、入学式でこのようなことを言われました。
「君たちは愚かになって卒業してください」
勉強して、愚かになるとはどういうことなのでしょうか?学校だったら、普通は「賢くなれ」と諭すものだろうに。このお話しはさらにこう続きます。
「仏教の教えに関する知識をいくら増やしてもダメです。それが自分の問題として受け止められなければ、いくら仏教を学んでも愚かになれず、ただ賢くなるだけです」
わたしはますます混乱しましたが、学んでいく中で気がつきました。それはつまり、自分の愚かさを自覚できる人、見つめられる人になってくださいという意味だったのです。
仏教の教えに詳しくなったことを鼻にかける人をたまに見かけます。
しかし、覚えた教えをひけらかすのではなく、教えを咀嚼し、自分の考えとして吸収していくことによって、愚かになる(愚かさを自覚する)ことができるのだと思います。
「無知の知」とソクラテスは看破しましたが、これは想像以上に難しいことなのです。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)