社会にコストを強いる人に
「死んで」と望むことの是非

 担い手や負担能力が増えない以上は、医療ニーズを減らす必要があるかもしれない。9月にも、花粉症薬が保険適用外になる可能性が関心を集めたばかりだ。精神科以外の入院医療に関しては、「極力、短期で」という方向での制度改革が進められてきている。

 長年にわたって高額の医療費を必要とする疾患の患者に対しては、「治療しない」という方向性も検討されている。2018年、腎臓病で人工透析の開始を希望していた40代女性が、入院していた公立病院で希望に応じられず、死亡した。女性はいったん、透析治療を希望しないと述べたのだが、その後、やはり透析を受けて生き延びたいと望んだ。

 しかし、病院は応じなかった。今年10月、遺族が病院を提訴したのだが、当事者らの主張も報道も、病院の判断を是とするか非とするかによって、二分された形となっている。日本透析医学会は、病院の判断を妥当としている。

 筆者は、「社会コストが必要な状態で生き続け、メリットをもたらす見込みが薄いのなら、死んでください」という論理に賛成する気はない。その論理が言葉通りに実行されていたら、たとえば参議院議員の舩後靖彦氏と木村英子氏(れいわ新選組)は、とっくにこの世にいなくなっていたかもしれない。2人はALSや脳性麻痺の当事者として、日本社会が必要としている変革を実現することを期待され、立法府のプレーヤーとして活躍している。それが可能になったのは、2人が生き延びてきたからだ。

 しかし、「命は大切」「かけがえのない人生」という言葉を、言葉通りに実行するのなら、実行するための医療経済の維持について考えることも、避けて通れないはずだ。そして日本の病院の経営は、財務省の方針に沿って、厚労省がベネフィットとコストの「アメとムチ」で統制している。統制が「医療費がかさみそうな場合、早く死なせれば評価して利益をバックする」という方向に向かうと、本人が「生きたい」「生きよう」と思っていても、生きられなくなってしまうかもしれない。