JFLからプロのJ3へ参入するためには、さまざまな案件を満たす必要がある。まずはJリーグから「百年構想クラブ」として認定されなければいけない。運営法人の経営体制や常時練習が可能な環境の確保、普及活動の継続的な実施などが、Jリーグ機構によるチェックの対象となる。

 今治はJFLのひとつ下のカテゴリー、地域リーグの四国リーグを戦っていた2016年2月に認定され、2017シーズンからは戦いの舞台をJFLへ移していた。しかし、JFLで4位以内に入り、なおかつ百年構想クラブの中で上位2クラブに入る成績面の条件を過去2年、満たすことはできなかった。

 特に昨シーズンは最後の2試合で1分け1敗と白星を挙げられず、5位に終わっていた。今シーズンへ向けて万全の、背水と言ってもいい体制を組んだ理由を、岡田はこんな言葉で説明している。

「今年はどうしても上がらないといけない。昨年は許していただいた、支援をしていただいている方々が、今年はもう許してもらえないと考えていたので」

サッカー協会副会長も退任
退路を断って「経営者」の道を選んだワケ

 肩書きや発している言葉からも分かるように、岡田は指導者としてではなく、経営者としての目線に立っている。実際、昨春には代表チームやJクラブの監督を務める上で必須となる公認S級コーチライセンスの更新を見送り、同時に日本サッカー協会の副会長も退任している。

 岡田を指導者から経営者へと転じさせたのは、日本サッカー界に対して長く抱いてきた疑念だった。大学時代の先輩がオーナーを務めていた、今治の運営会社の発行済株式の51%を取得したのは2014年11月。若手の育成において、逆転の発想で取り組みたいという思いが岡田を動かした。

「サッカーの型を作って、16歳までに教え込もうと思って始めた。まず型を教えてから、16歳、高校生ぐらいからチーム戦術を落とし込んでいく。そういうトライがしたかった。そうすれば主体的で、自分で判断できる選手を育成できるんじゃないか、と」