ヒカリエの基本設計が始まった07年ごろは、スクランブルスクエアを含め駅街区開発の具体的な事業化見通しが確実ではない時期だった。最悪の場合は、ヒカリエが建ってから開発が中断する可能性もあった。それでも関係者たちは、いずれ4階は上空を歩く「空の道」につながると、未来の渋谷に思いをはせた。

「設計当時から、駅周辺のビルを立体的につなぐ発想はあった。でも実現するかどうか100%の確信はなかった」と大松取締役。それでもこの空間をつくって、4階が花開くときを待ち続けてきた。

 大工事の末、東京メトロ銀座線の渋谷駅をヒカリエ側に移し、20年にはヒカリエの3階部分に改札口ができる。スクランブルスクエアも3階部分で銀座線やJR線につながる。

 既に東急東横線、東急田園都市線、東京メトロ半蔵門線、東京メトロ副都心線がある地下2階からこの3階部分まで、ヒカリエ同様に「アーバンコア」と呼ばれる駅やビルを縦に結ぶエスカレーターで上れるようになっている。

 さらに再開発が進むと、ヒカリエの4階から銀座線ホームの屋上を歩いて北西にある渋谷マークシティまでつながる空の道が実現する段階に入る。

 渋谷駅は再開発によって縦に延びていき、地下、地上、さらに上空を往来する駅へと変貌していくのだ。

 渋谷再開発は2000年代初頭から四半世紀にわたって続くものだ。08年のリーマンショックなど幾度も困難に直面しながら、東急、JR東日本、東京メトロら複数の鉄道事業者や地元地権者と利害がぶつかりつつも折衝を重ねてきた。彼らが手を組み、大きな開発を進めたのは、「危機感」を共有していたからだ。

 02年に新宿や池袋に通じる副都心線と東横線の相互直通運転の実施が決まった。渋谷駅の利便性を高め、どんどん便利になる他の駅に対抗するためではあるが、それまで東横線の始発駅や終点として利用された渋谷駅を素通りされる恐れがあった。便利になる半面、ジレンマを抱えながらの決断だったのだ。