40歳を目前にして会社を辞め、一生懸命生きることをあきらめた著者のエッセイが、韓国で売れに売れている。現地で25万部を突破し、「2019年上期ベスト10」(韓国大手書店KYOBO文庫)、「2018年最高の本」(ネット書店YES24)に選ばれるなど注目を集め続けているのだ。
その本のタイトルは、『あやうく一生懸命生きるところだった』。何とも変わったタイトルだが、現地では、「心が軽くなった」「共感だらけの内容」「つらさから逃れたいときにいつも読みたい」と共感・絶賛の声が相次いでいる。日本でも、東方神起のメンバーの愛読書として話題になったことがあった。
そんなベストセラーエッセイの邦訳が、ついに2020年1月16日に刊行となる。日本版でも、有安杏果さんが「人生に悩み、疲れたときに立ち止まる勇気と自分らしく生きるための後押しをもらえた」と推薦コメントを寄せている。多くの方から共感・絶賛を集める本書の内容とは、果たしていったいどのようなものなのか? 今回は、本書の日本版から抜粋するかたちで、結婚についての項目の一部を紹介していく。
なぜ、結婚を“当然するもの”と考えているの?
かなり前のことだが、ある人から面と向かって堂々と質問されたことがある。
なぜ結婚しないのか、当然すべきなのになぜか、と。
でも、何ひとつ答えられなかった。いや、答えたくなかった。相手は悪意もなく、純粋な好奇心から質問したのだろうが、まるで暴力のように感じられたからだ。
みんなが正しいと信じる価値観に同意しない者への暴力。なぜまわりに倣わない? 説明してみろよと。決まっていつも、説明するのは僕だった。彼らは説明する必要がない。当然の質問をしているだけだから。僕にだけ、納得できる説明を要求する。その答えによって許せるかいなかをジャッジするかのように。
しかし、気になった。彼らの中にひとりでも「結婚しなければならない理由」について真剣に考えたことがある人がいるのかと。
「愛しているから」
「一緒にいたいから」
「人間の道理だから」
「子どもがほしいから、当然でしょう」
でも、彼らの理由もそれほど説得力があるようには思えなかった。なぜ、結婚を”当然するもの”と考えているのか? 結婚という制度は必要だから生じた。ならば、必要と思わないからしない人もいるのに、なぜそこに合理的な理由を求めるのか? 必要ないものを購入しない人に「なぜ買わないのか?」と聞くようなものじゃないか。
親、兄弟、親戚、友人、先輩、同僚など、あまりに多くの人が尋ねてくるから、めんどくさくて、いっそ結婚してしまおうかと悩みもした。結婚しないのには自分なりの理由があるのだが、それをすべての人に説明し、許可を得ないとダメなのだろうか。結婚制度が悪いともなくすべきだとも思わない。ただ、「自分はしない」と言っているだけなのに、世間は納得がいかないようだ。
本当に恥ずべきは、結婚していないことではない
みんなと同じように生きないという選択は、あらゆる面で疲れる。ひょっとして、みんなも疲れるから他人に合わせて生きているのだろうか。
もちろん僕も、いつも他人の視線を気にしてきたし、誰に見られても恥ずかしくない人生を送ろうと努力してきた。たとえ、それがうまくいかなくても。正直、「人生マニュアル」に合わせて生きてみたかったけど、簡単ではなかったんだ。
でも、本当に恥ずべきは、この年で何も持ち合わせていないことではなく、自分なりのポリシーや方向性を持たずに生きてきたという事実のほうかもしれない。これまでほしがってきたものは全部、他人が提示したものだった。みんなによく見られようとしていた。それが恥ずかしい。
僕は、必死に追いかけて追いつけなかったどころか、つんのめって転んだ人間だ。でも、転んだついでにちょっと休んで、自分だけの道を探してみようとも思った。そう、これからが「マイウェイ」だ。
(本原稿は、ハ・ワン著、岡崎暢子訳『あやうく一生懸命生きるところだった』からの抜粋です)
イラストレーター、作家。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。フリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、何かと言い訳をつけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能など。書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も1冊あるが、詳細は公表していない。自身初のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』が韓国で25万部のベストセラーに。