ソースネクストの松田憲幸社長は、経営危機を乗り切った直後からアメリカ・シリコンバレーに移住し、暮らしてみて肌でわかったことが沢山ある、といいます。その中の一つが、西洋人と日本人の色や明るさに対する感じ方。それは、グローバルに展開したい製品サービスづくりには絶対に知っておきたいことでした。松田さんの著書『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』よりご紹介します。
会社を危機に陥れたのち、辛くも持ち直してから私が今後IT業界の変化を見逃すまいと選択したのは、ITの総本山のシリコンバレーに移り住んでしまうことでした。社長みずからが、本社を日本に置いたまま、移住してしまう──。おそらく上場企業の社長でほとんど前例のないことでしたが、これもまた、振り返れば最善の策だったと思っています。
というのも、やはりアメリカに住んでみないとわからないことは、たくさんあるからです。
本当の意味でのダイバーシティも認識しました。どうしてシリコンバレーでは、グローバルな製品やサービスを生み出せるのか。
フェイスブックをはじめ、グローバルに成功しているプロダクトやサービスは、グローバルなチームで作られているのです。アメリカ人だけで作っているわけではありません。
最初に住んだクパティーノで実感しましたが、とにかくさまざまな人種の人たちが暮らしています。
たとえば、私がアメリカで家を探すときに、どうしてアメリカ人の家はこんなに暗いのか、と疑問に思っていたところ、アジア人と西洋人の目では、見え方が違うということがわかりました。アジア人の目は、まぶしさをあまり感じません。ところが西洋人の目は、アジア人にとっての弱い光でも強く感知してしまうのです。
アメリカの家が暗いのは、西洋人用に作られているからです。西洋のホテルが暗いのも同じ理由で、アジア人用の照明は彼らにとっては明るすぎるのです。西洋人がサングラスをよくしているのを見かけるのは、そのためです。格好つけるためにサングラスをしているのではありません。本当にまぶしいから、しているのです。
ITの世界でも、たとえば明るさや色の見え方を知っているかどうかで大きく変わります。アジア人と西洋人では、光と同じく、色も違って見えているからです。そういう違いも知っていたうえで、グローバルに展開するプロダクトやサービスを企画しなければならないと思います。たとえば「赤」と一口にいっても、アジア人と西洋人の好む赤は違います。アジア特有のケバケバしい原色は、西洋人には受け入れられにくいようです。フェイスブックにしても、リンクトインにしても、コーポレートカラーがシックで少し落ち着いた色味なのはこのためだと思います。
シリコンバレーでは、それを理解してビジネスをしています。世界中から人が集まり、本当のグローバルチームで取り組むからこそ、どの国の人にも違和感のないUX(ユーザーエクスペリエンス/製品サービスから顧客が得られる体験)を提供することができています。グローバル企業が使っている色やデザインは、ダイバーシティの公約数なのです。
日本は、もっともっとダイバーシティを進めないと、グローバル競争には勝てません。グローバル製品を作るためには、グローバルなチームで作らないといけないのです。日本人だけで作ったら、勝てない。
ちなみにわが社がいま全力で売り出しているAI通訳機「ポケトーク」は、グローバルなチームで作っています。それは、グローバルな製品にしていきたいからなのです。
松田憲幸(まつだ・のりゆき)
ソースネクスト株式会社代表取締役社長
大阪府立大学工学部数理工学科卒。日本アイ・ビー・エム株式会社のシステムエンジニアを経て、1996年に株式会社ソース(現ソースネクスト株式会社)を創業。2006年12月に東証マザーズ、2008年6月に東証第一部に上場。ソースネクストは約50カ国で働きがいに関する調査を行うGreat Place to Workによる2019年版日本における「働きがいのある会社」ランキング(従業員100~999人)で12位と5年連続でベストカンパニーに選出されたほか、東洋経済オンライン「初任給が高い会社ランキング」(2017年)で第7位にランクイン。2012年より米国シリコンバレー在住、日本と行き来し経営にあたる。兵庫県出身。新経済連盟理事。
【関連書籍のご案内】
『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』
著者:松田憲幸(ソースネクスト株式会社社長)
2020年1月9日(木)夜10時~テレビ東京系列「カンブリア宮殿」出演!
10年で時価総額50倍に!
「特打」「驚速」などパソコンソフト累計5000万本、
初の翻訳機「ポケトーク」でシェア95%を実現した
【常識破りの、全ノウハウ】とは?
ソースネクストの創業は23年前。システムエンジニアだった松田社長は、それまで経験のない店頭販売や価格交渉を実戦で鍛えつつ、お客さまの「面白さ」「煩わしさ」をヒントにユニークな製品をつぎつぎ発売してきました。本書では、具体的な製品を挙げながら、それら製品や売り方の着想プロセスを語りつくします!
◆買ってしまう、欲しくなる「売り」の作り方
◆「特打」「驚速」「ポケトーク」などネーミングの秘密
◆明石家さんまさんCM出演の裏側
◆カッコ良すぎると売れない不思議
◆みずから店頭に立つと見えてくる売れる真実
◆ウイルス対策ソフトの更新料をゼロにできる理由
◆儲けている会社ほどお客様の満足度が高いという事実
◆実力がある人が出世できないと、みんなが困る風土
<反響続々!>
・紀伊國屋書店新宿本店 「社会」ジャンル第1位!(2019年12月16~12月22日)
・三省堂書店有楽町店 ビジネス書ランキング第1位!(2019年12月30日~1月5日)
・丸善日本橋店 ビジネス書ランキング第3位!(2019年12月26日~12月31日)
《著者より》
本書は、さまざまな紆余曲折の中で、私たちの生き残りにつながったユニークな製品や仕組みを、どのように考えて作りあげてきたのか、振り返ってまとめました。これからの厳しいビジネス競争をみなさまが生き抜く何かのヒントになれば、と願っています。ただし、これがヒントといえるか心もとない……というのも本音で、私たちが少し変わった会社である(とよく言われる)ことも事実です。こだわることと、とらわれないことのバランスが一風変わっていた、とでもいいましょうか。
たとえば、社長である私自身が、量販店の売り場に立って販売するのは、当社では当たり前でした。むしろ私は、喜んで店頭に立っていたのです。2019年も店頭に立って販売してきました。量販店の法被(はっぴ)を着て立ち、ポケトークの売れ行きについて、お客さまの生の声をうかがうためです。そんな「売れる」現場を大事にしてきたのと同時に、私が強烈にこだわってきたのは、パッケージやネーミングでした。同業他社は開発に鎬(しのぎ)を削っていましたが、お客さまから選んでもらうポイントはまず中身よりも「見た目」にある、と考えたからです。このため、ネーミングやパッケージデザインを担うデザイナーを、創業当初に役員待遇で迎えました。
また、ソフトの世界では、家電量販店等の小売店に製品を置いてもらうときは卸を通すのが常識ですが、私たちはもう15年も前に、卸を離れて小売店との直接取引に踏み出しました。卸を通すと、売り場を自分たちで思うように演出できないうえ、実売データも入ってこないからです。こんなことをした会社は後にも先にも、なんと今この時代ですら、パソコンソフト業界では私たちしかいません。
価格にもこだわりました。パソコンソフトは数千~1万円するのが当たり前だった時代に、それではユーザーは増えないし、販売ルートも限られる、と考えて、価格を一気に下げました。1980円に統一してしまったときには、業界から罵詈雑言(ばりぞうごん)も浴びせられました。それでもひるまず、このとき一気に100タイトルを世に送り出し、多くのお客さまからの支持を得て、同時に競合を完全に振り切ったのでした。
このほか、会社の倒産の危機をからくも脱した直後の2012年からは、社長である私がアメリカのシリコンバレーに移住しています。日本に本社があるのに、社長みずからがアメリカに移住してしまったことで、これまた驚かれました。しかし、この選択は大正解でした。
現地でのすばやい交渉が奏功し、「Dropbox」や「Evernote」などのいわゆるクラウド製品の日本語版販売の権利を取得でき、それも日本式に量販店でパッケージとして売り出したことで大ヒットしました。クラウド製品をダウンロードするのではなく、量販店で手に取りながら、アフターサービスも保証されるパッケージとして売ったことが、業界の、そしてお客さまの度肝を抜くことになったのでした。
こうした取り組みでは、それぞれに学びがありました。そして今、これらすべての経験や仕組みが揃ったおかげで、ソフトウェア会社だった我々が、冒頭紹介したとおり、ハードウェアであるポケトークを大々的に展開することもできています。長年かけて、一つひとつジグソーパズルのピースをはめてきて、すべてそろった感覚に近いかもしれません。さらに、2019年12月には、「ポケトークS」という大きくバージョンアップした次号機を発売します。まさに、人類史上最高の翻訳機です。もちろん、今がゴールではなく、新たなスタート地点に立ったばかり。拙著『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』を通じて、私たちが体験してきた経験や教訓が、ビジネスパーソンのみなさまのほんの少しでもお役に立てたら幸いです。