貝原益軒の食事術健康ブームが起きていた江戸時代のベストセラー健康本の著者、貝原益軒の食事とは?(写真はイメージです) Photo:PIXTA

健康に良いイメージのある和食も、初めから健康に良かったわけではありません。日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。前編(「“ピンピンコロリ”を体現した徳川家康の長生きメニュー「3品」」)に続き、今回も『日本人の病気と食の歴史』の著者である奥田昌子医師に、体と食のかかわり合いの歴史や歴史上の人物の食に関する成功や失敗例から、現代の日本人が健康的に長生きするためのヒントを聞きました。(聞き手、文・構成/種田あき子)

貝原益軒が江戸時代に提唱!
日本人の体質に合った「食事のルール」

 健康オタクだった徳川家康は健康書をよく読んでいたといわれていますが、現代と同じように江戸時代にもいわゆる健康ブームが起きており、幕末までに100種類以上の健康書が制作されました。

 その中でも特に有名なのは、江戸時代前期から中期に活躍した貝原益軒の『養生訓』です。福岡藩に仕える武士の子として生まれた益軒は、医学、薬学、農学、博物学、教育学などに通じた大学者になると、みずからも養生に努め、『養生訓』を書きました。

 特筆すべきは、「日本人の健康」という視点があったことです。食事に関する益軒の思想を紹介しましょう。

・夕食は簡素にし、旬のものを食べよ

 益軒は、食べたものの消化には時間がかかるから夕食は控えめにすべきだ、特に味が濃いものや脂っこいものは体の負担になると説きました。また、季節外れの食材、十分熟していない食材、火が通り過ぎたもの、生煮えのものも良くないと言っていました。