健康に良いイメージのある和食も、初めから健康に良かったわけではありません。日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。今回は『日本人の病気と食の歴史』の著者である奥田昌子医師に、体と食のかかわり合いの歴史や歴史上の人物の食に関する成功や失敗例から、現代の日本人が健康的に長生きするためのヒントを聞きました。(聞き手、文・構成/種田あき子)
見た目重視で栄養バランス後回し
平安貴族の「不健康な食事」
日本は豊かな自然に囲まれ、日本人は、古代から魚や野生動物の肉、野菜、米などさまざまな食材を口にしてきました。平安時代になると、貴族たちは贅を尽くした食事をするようになっていました。
日本人は縄文時代から稲作をしていましたが、平安時代には、主食として白米を蒸したおこわを食べていました。変わりご飯として雑穀や野菜を加えて炊いたり、ゴマ油でご飯を炒めたりすることもあったようです。
奈良時代から続く仏教の教えを背景に、平安貴族は肉食禁止令を厳守し、肉は食べませんでした。しかし、天皇の即位をはじめとする重要な儀式などでは、魚や貝、野菜を中心とした焼き物、煮物、蒸し物、煮こごりなど、当時最新の調理法を駆使した料理がきらびやかにお膳を飾りました。
味つけの基本は塩と酢で、みそとしょうゆに近いものも使い、ワサビなどの薬味もあったようです。漬物や塩辛もありました。当時の砂糖は黒砂糖だったようですが、きわめて高価な上にめったに手に入らず、さすがの平安貴族も気軽に口にすることはできませんでした。代わりに蜂蜜、甘葛、水あめなどの甘味料が使われていました。
しかし、こうした贅の限りを尽くした貴族の食事は、盛り合わせの美しさと品数を重視するあまり、栄養のバランスは後回しでした。全国各地の珍しい食材を使おうとすれば、魚や貝は保存の利く干物や塩漬けなどの加工品が中心となります。肉を食べませんから、動物性タンパク質と脂質の摂取量は極端に少なく、見た目に反して中身は不健康でした。丈夫で長生きしたかったら、当時は庶民の食材とされたイワシやサバなど新鮮な魚を食べれば良かったのですが、貴族らは「卑しい魚」といって嫌っていました。
そこに運動不足が拍車をかけました。そのためか、平安時代の記録には、「糖尿病」と思われる記載が数は少ないながら見つかります。糖尿病は代表的な生活習慣病であり、内臓脂肪の蓄積と運動不足が発症に関係します。糖尿病になると血糖値が上がるために体の細胞から水が出て、非常に喉が渇きます。そのため当時は飲水病とか消渇と呼ばれていました。