ジョブズ氏にとって
iPhoneは過去のもの
さて、2011年10月5日。56歳の若さで亡くなる直前 まで、ジョブズ氏はiPod、MacBookAir、iPhone、iPadと、それこそ鬼気迫るという表現がしっくりくるほどの勢いで、次々と「世界を変える」製品を生み出し、世の中に問いかけ続け、世界を熱狂の渦の中へと巻き込み続けていました。
ジョブズ氏が存命であったなら、今もなお新しい何かについて深く深く考えていたはずです。そして、きっと「iPhone4を超えるスマートフォンを開発することは可能である」と、戸惑う素振りすら見せずに言ってくれたことでしょう。
iPhoneを買った、 もしくはiPhoneが流行っている現象を観察しているユーザーとしての私たちですら、「iPhoneを超える携帯電話を企画しなさい」という問題を前にして、そんなことできやしないと臆してしまいます。
それなのに、ジョブズ氏は世界中からの数え切れない賞賛と批判とプレッシャーを受けているにもかかわらず、臆せずに「作れる」と言い切ったでしょう。
言い換えれば、私たちはiPhoneのコンセプトを未だに「スゴイもの、完成された完璧なもの」と考えて手を入れられずにいるのに対して、ジョブズ氏は「不十分で変える必要のあるもの、過去のもの」と考えていたといえます。
逆に言えば、もしジョブズ氏が私たちと同じように、過去のiPhone のコンセプトを「スゴイもの、完成された完璧なもの」と考えていたとしたら、未来のiPhoneはきっとつまらないものになっていくであろうことは、想像に難くありませんよね。