葛藤にさらされても、まだやりたいことがあるのなら
世の中の常識に従うことで、安心できることはたくさんあります。わざわざ不安になる方を選ぶ必要もありません。ただ、もしも不安よりも違和感が大きいと感じるのであれば、きちんと考えてみた方がいいと思います。僕にとってのゲームのように「これだけは」という何かが、誰にでもひとつくらいはあるかもしれないからです。
むしろその何かは、迷いや葛藤にさらされる状況があって初めてわかる。そういうものかもしれません。
僕はゲームが好きです。ゲーム中心で生活してきましたが、ただただ夢中になっていただけで職業にしたい意識はありませんでした。「勝ち」に対する気持ちもそうです。ずっと勝ちたいと思ってやってはいましたが、切実にそう感じるようになったのは、思うように勝てない状況になってからです。
「踏み絵」にも似た状況はしんどいものですが、自分の思いや譲れないものを確認できる機会にもなり得ます。それで「これだけは」というものがあったのなら、それぞれの現実の中でどう付き合うのかを考える。世間がこうだからと、何となく決めていいことではない。僕は大学院での手痛い失敗があったから、そのことに気づけたのです。
「好きなことだけやる」と「受け入れる」は違う
誤解して欲しくないのは、世の中の答えと自分の気持ち、どちらが正しいとか偉いとかいっているのではないのです。世の中が決めた答え、自分が決めた答え、その選択に優劣はありません。
人にはそれぞれの事情があります。自分の答えを選択するのは現実が許さないことはあります。僕も、もしプロゲーマーが職業として存在していなければ、普通の仕事とゲームを両立する人生を選んだと思います。何であろうと自分が受け入れた道であれば、やってみて、失敗しても納得できる。それがいちばん大切なことなのです。