韓国で『あやうく一生懸命生きるところだった』というタイトルのエッセイが売れに売れている。発売以来、現地で25万部のベストセラーとなり、今年1月には邦訳版が刊行。こちらもすでに4.5万部突破と絶好調だ。「一生懸命頑張る」ことがよいとされる(美しいとまで言われる)両国で、なぜ今、頑張らないことをテーマにした本が売れているのか? 今回は、韓国事情にも詳しい人気ライターの西森路代氏に、その背景について寄稿いただいた。
※本原稿には、映画『パラサイト』の内容に関する記述を含みます。あらかじめご了承ください。
「24時間働けますか?」
人が「一生懸命」になるのは理由がある。より良い生活をしたいからとか、目標があるからとか、それが当然だと思っているからとか、幼い頃からそう教育されてきたからとか、さまざまなものがあるだろう。
しかし、それを辞めようと思うときはどういうときなのだろう。
日本で言えば、バブル時代の1989年、栄養ドリンク「リゲイン」のCMでは「24時間働けますか?」というキャッチフレーズが話題となったが、2014年には、「3、4時間戦えますか」というものに変更された。この変化は、まさに「一生懸命」を辞めようとしたということではないかと思う。
時代によって空気や価値観も変わる。1989年当時は、24時間働くというような(実際には働いていたわけではないが)がむしゃらな空気に異を唱える人は少なかったわけだが、現在は比喩として表現しただけでも違和感となる。今の空気としても、3、4時間集中して働くほうが生産性もあがるということが、共有されている世の中になったと言っていいだろう。
日本に住む人々も単純に「一生懸命」を辞めたわけではなく、時間の使い方やQOL (クオリティ オブ ライフ)を上げようということを追求する世の中になったのではないだろうか。
もう一生懸命生きることはやめた――。
ベストセラーとなった一人の男のエッセイ
韓国で発売された『あやうく一生懸命生きるところだった』は、韓国でも「一生懸命」に生きるのが当然だと思われてきていたが、それが変わりつつあるということが描かれている。
著者は三浪して韓国の難関美大の弘益大学(通称ホンデ)に合格するも、その後は「1ウォンでも多く稼ぎたい」と会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたが、ある日突然、韓国の熾烈な競争社会に対して考え、ふと立ち止まり、「これ以上、負けたくないから、一生懸命をやめよう」と心に決める。
そう思うのは何も著者だけでない。韓国では、恋愛・結婚・出産を放棄する若者を指す「三放世代」という言葉が2011年ころに生まれ、その後は、就職、マイホーム、人間関係、夢と、その数が五、七と増えていき、やがてもう全部ひっくるめて「N放世代」と言われるようになった。
ただ、著者はこの「一生懸命を放棄する」ことにはポジティブだが、そう宣言すると「心配するため息があちこちから聞こえてきそうだ」と書いているから、韓国でそんな生き方を選ぶことが当たり前でなかったことが伝わってくるし、「この実験は果たして成功するのだろうか」ともつづっている。
彼が行った実験とは、会社を辞め、レースを降りることだった。そして、「やる気」を他人のために使うのではなく、自分のために大切にコントロールすることでもあった。そこで気づくのは「これまでほしがってきたものは全部、他人が提示したものだった」ということだった。