日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った「2ちゃんねる」や動画サイト「ニコニコ動画」などを手掛けてきて、いまも英語圏最大の匿名掲示板「4chan」や新サービス「ペンギン村」の管理人を続ける、ひろゆき氏。
そのロジカルな思考は、ときに「論破」「無双」と表現されて注目されてきたが、彼の人生観そのものをうかがう機会はそれほど多くなかった。『1%の努力』では、その部分を掘り下げ、いかに彼が今の立ち位置を築き上げてきたのかを明らかに語った。
「努力はしてこなかったが、僕は食いっぱぐれているわけではない。
つまり、『1%の努力』はしてきたわけだ」
「世の中、努力信仰で蔓延している。それを企業のトップが平気で口にする。
ムダな努力は、不幸な人を増やしかねないので、あまりよくない。
そんな思いから、この企画がはじまった」(本書内容より)
そう語るひろゆき氏。インターネットの恩恵を受け、ネットの世界にどっぷりと浸かってきた「ネット的な生き方」に迫る――(こちらは2020年3月19日付け記事を再構成したものです)
これは、究極の質問です
個人の「考え方」には、幼少の頃からの家庭環境が影響する。
これは、僕が大人になってからカルチャーショックを受けたときのエピソードだ。
早速だが、1つ質問がある。
「あなたの家には、エッグスタンドがありますか?」
ちなみにエッグスタンドとは、食卓のテーブルの上で「卵を置くため」だけにある器のことだ。
「エッグスタンドくらいあるでしょう」
「エッグスタンドって何? 見たことないんだけど~?」
反応は2つに分かれると思う。
あなたは「金持ち」をどう見る?
僕の考えは、こうだ。
卵を置くためだけに食器があるって、おかしくないか???
器なんて何でもいいし、普通の小皿であれば、卵に限らず、なんだって置くことができる。
けれど、エッグスタンドは「卵のためだけ」にしか使えない。
そんなものを買う「余裕」があること。しかもそれを「当たり前のように語る人」がいることに、僕はショックを受けたのだ。
それを知ってからというもの、雑貨屋に行くと、たしかにエッグスタンドは売っている。それまで目に入らなかったものが顕在化されてしまった。
さて、なぜ、こんな話をしたかというと、比較対象が現れたときに、どう受け止めるかで人生はけっこう変わる気がするからだ。
「ああ、私の家はエッグスタンドもない家なのか。恥ずかしい……」
そう受け取る人が一定数はいるのではないだろうか。
こうやれば、人と比べなくなる
ここでいう「エッグスタンド」は、例のひとつにすぎない。
「幼稚園の頃にお受験をしたことがある」
「海外へは必ずファーストクラスに乗っている」
「家にはサッカーができるほど広くて大きな庭がある」
社会に出たり、SNSを開くと、比較する機会が増えていく。特に、上京して大学に進学したり、就職して都会に出てきたり、結婚などのライフイベントで人間関係が変われば、この問題に直面する。
生きていく限り、つねに「比較対象」に晒される。
でも、比較対象がないほうが、人は幸せなんじゃないか。
そう思うと、「自分はこうやって生きてきた」ということをちゃんと軸として持っておくことが必要だ。
人を羨んでしまいそうなときに、この言葉を思い出して立ち戻ってほしい。
「エッグスタンドなんて、いらなくない?」
すると、人生におけるさまざまなことを内省することができ、ぐっとラクになることだろう。
子どものお受験 = エッグスタンド
ファーストクラス = エッグスタンド
大きい庭付きの家 = エッグスタンド ……
瞬時にそう置き換えるようにすればいい。さもエッグスタンドを持っていることを当たり前のように語るやつに、劣等感を持つ必要はない。
この思考法は、僕が考える「1%の努力」の一例だ。
ぜひ、取り入れてみてほしい。
本名:西村博之
1976年、神奈川県生まれ。東京都に移り、中央大学へと進学。在学中に、アメリカ・アーカンソー州に留学。1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。2005年、株式会社ニワンゴの取締役管理人に就任し、「ニコニコ動画」を開始。2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。2019年、「ペンギン村」をリリース。新刊『1%の努力』(ダイヤモンド社)を刊行。