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ところ変われば習慣も変わる。カルチャーギャップからすれ違いが起きることも少なくない。本連載では、折に触れて、ありがちなエピソードをコラムとして紹介する。
米国の大学やハーバード・ビジネス・スクールで学び、総合商社で丁々発止のビジネスを行ってきた経験を踏まえて、現在、日本人の英語力向上とグローバル・リーダーの育成に携わる著者が、最新作『グローバル・モード』から抜粋してそのコツを紹介する。

言わければわからない

 私は日本で生まれ育ち、20歳でアメリカに渡りました。海外に出たのは初めてで、大学ではトムとルームメートになりました。

 トムは、毎朝6時に目覚ましを大音量で鳴らします。渡米したばかりで英語もままならず、毎日ほぼ徹夜に近かった私は参りました。ただ、直接文句を言うと角が立つかと思い、咳払いをしたり、派手に寝返りを打ったりして、「うるさいですよ」というサインを送り始めました。しかし、トムは一向に気づいてくれません。

 数週間経った朝、とうとう堪忍袋の緒が切れ、「いいかげんにしろ!」と怒鳴ってしまいました。トムはきょとんとするばかり。ようやく目覚ましの問題だと理解すると、「そんなに怒るようなことなのか」と悪びれないどころか、「言ってくれればいいのに」「これは君のコミュニケーション力の問題だよ」と言ってのけました。

 私としては、とうてい納得できません。「こっちはまだ英語もままならないし、毎晩寝てないことぐらいわかるだろ。少しは察しろよ」と怒りが収まりませんでした。「察しないお前が悪い」という私の主張と、「言わないお前が悪い」というトムの主張は平行線をたどりました。

 日本では「察してくれない人」の方が鈍感、不親切、気配りが足りないとされ、また、察することは相手を大切にしていることの表れとされています。しかし、低文脈の社会では、相手に意図をきちんと届けるのは話し手側の仕事です。きちんと説明しない人の方が不親切であり、話下手、気配りが足りないとされるわけです。

 異文化同士では共有している前提が少ないために、そもそも察しあうことは難しいのです。決して相手を思いやる気持ちがないからではありません。感情がからんでくるのでなかなか簡単ではありませんが、意識的にモードを切り替えていきましょう。