コロナウイルス禍によるテレワーク、在宅勤務の浸透で、「働かないおじさん」問題が再燃している。
毎日なんの仕事をしているかもわからず、目立った成果も出さず、遠隔会議でも発言しない……。テレワークによって、これまでオフィスにいることでまだ気にならなかった中高年の「働かなさ」が顕在化した。そして、そうした中高年たちをやゆし、非難する声が、そこかしこで聞かれるようになった。雑誌やオンラインの記事でも頻繁に目にする。
筆者は中高年のキャリアについての調査研究を行ってきており、このテーマについてもしばしば取材を受けることがあるが、この「働かないおじさん」問題を語る言説は、あまりに表面的で扇情的だ。「自分の目に見える風景」だけを見て背景の要因を見ない限り、どんなに議論を尽くしても、結果的には「文句を言いたい人のガス抜き」にしかならない。そこで今回は、この“働かないおじさん問題”という問題を構造的にひもといてみよう。
「働かないおじさん」問題の
本質とは何か
まず確認したいのは、人的資源管理の視点から中高年の働きぶりが課題となるのは、決して「働かない」ことではない。単に「働かない」だけなら誰でもあることだが、話題になるのが「おじさん」ばかりなのは、その背景に「パフォーマンスと報酬の不一致」ないし、「パフォーマンスと期待値の不一致」があるだからだ。まずこの問題の根っこは、高い水準にある中高年の賃金や処遇との「ギャップ」にあることを最初に確認しておきたい。
次に、「男性であること」とパフォーマンスの低さも無関係だ。男性稼ぎ手モデルに依存しすぎた旧来の働き方が残っている日本企業は、そもそも正規社員の高齢層に男性が多い。「働いているおじさん」もそもそも多いため、「働かないおじさん」が大きな課題として認識されているが、本質的には性別の問題ではない。将来的に働く女性の高年齢化が進めば 「働かないおじさん」と同様の問題が生じるだろう。
筆者の所属するパーソル総合研究所では、法政大学大学院・石山恒貴教授との共同研究において、活躍できる中高年とできない中高年の行動・意識の違いを定量的に調査してきたが、そこでもやはり男性であることそのものは、仕事のパフォーマンスに対して統計的に影響していない。活躍する中高年としない中高年を分けていたのは、「積極的に人間関係を構築する行動」や、「失敗を恐れず新しいことにトライし続ける」といった、日々の行動だった。「おじさん」という性別に矮小化した見方では、問題の本質を見誤る。