マンスプレイニングが嫌がられるのは、相手の知識を過小評価し自分を過大評価している内心がありありと伝わるからである。

 また、これが「男性から女性への」と限定されているのは現実を反映している。女性に向かって講釈する男性を見る機会は、男性に向かって同じことをする女性を見る機会よりも圧倒的に多い。

 これは、日本ではいまだに、「男性は論理的だが、女性は論理的思考が苦手」「男性は理系に向いていて女性はそうではない」といった男女脳フィクションを信じている人が多いことと無関係ではないだろう。

 天下の公共放送NHKが数年前に女子高生を出演させた「むちむち!」(無知とムチムチをかけているらしい)という番組を放送していたことからも明らかなように、女性の中でも特に「若い女性」「女子大生」「女子高生」は、「誰かに教えてもらわなければならない対象」というイメージを付与される。「女子高生でもわかる〇〇」といったフレーズを見かけることがあっても、「男子高生でもわかる〇〇」は見かけない。

 若い女性に対するこのようなイメージをマスコミが繰り返すのだから、それを刷り込まれた男性がマンスプレイニングしてしまうのも無理ないのかもしれない。しかし、もうやめよう。教えを乞われているかどうかを考えよう。

「うざいおじさん」扱いされたくなければ、お守りがわりに手に「マンスプはダメ」と書いておこう。

シーライオニング
不毛な質問を繰り返す

 ツイッター上ではしばしば、相手を疲弊させるためだけに質問を繰り返している人を見かける。理解する気などないのに、理解しようとしているフリをすることもある。この行動にも名前がついている。それがシーライオニングだ。

 例えば、以下のようなやり取り。

人「井の頭公園に野生のアシカは生息していません」
シーライオン「その根拠は?」
人「現在までに見た人がいません」
シーライオン「目撃者がいないというのは、いないことを証明しませんよね?」
人「普通に考えていないでしょう。アシカは海の生き物です」
シーライオン「普通って何ですか?もっと論理的根拠を示してください。説明できないんですか?」
人「あなたがいると思う根拠は?」
シーライオン「私がいつアシカがいると言ったのですか?」

 トーンポリシングもそうだが、シーライオニングを繰り返すシーライオンとのやり取りも一見議論のように見えて議論ではない。生産的議論になりようがなく、まったく不毛である。