公共サービスであるという
視点が欠けている

 米国の場合、当然州による違いはあるが、例えばカリフォルニア州で整備されたBRTは、低所得者の移動の負担の軽減も目的としている。BRTというとわが国では連節バスが想起されることが多いと思うが、元々BRTとはBus Rapid Transitという言葉からも明らかなように、速達性を重視した、業務地域と住宅地域を結ぶ中量輸送のことであり、したがって専用線や連節バスが用いられているのであって、連節バスならBRTと考えるのは間違いである(フランスでも連節バスを用いているだけなら単車のバスと同じただの路線バス扱いである)。

 話を元に戻すと、これがなぜ低所得者の負担軽減につながるかというと、BRTがあることによって、車を所有して通勤に使わなくても済むようになるからである。通勤に自動車を使わざるをえないとなると、自動車の購入費用、維持費、そして燃料費とさまざまな負担がのしかかってくることになり、それが賄えなくなれば仕事にもありつけなくなって貧困化し、ついには犯罪に手を染めざるをえなくなる等により、治安の悪化を招くことにもなりかねない。そうしたことを防ごうということで、同様の考え方はオレゴン州ポートランド市の路面電車(streetcar)でも見られる。

 要するに、諸外国では鉄道などの公共交通の利用に係る負担をむやみに増やそうという発想はないと言っていいのである(ロンドンのような例外はあるが)。

 つまり、わが国については鉄道等の公共交通というものが、単なる私的な利益の追求の手段ではなく、公共サービスであるという視点が欠けているということであり、公共交通は公共サービスであるということを関係法令の改正を通じて明確に位置付けることが急がれる。

 その上で、独立採算で考えた場合に赤字である事業者や路線については、その分を補填して公共サービスが維持できるようにしたり、(事業会計を設けた単体のインフラ事業としてではなく)道路と同様に線路等のインフラを国や地方公共団体が引き取り、事業者は運営や付帯事業だけに専念できるようにしたり、赤字ではないものの大幅は黒字は見込めない事業者や路線の運営費の一部を、国又は地方公共団体が財政的に支援することでサービスの質の向上につなげたりすること等が可能なように、関係法令を改めて行くことが必要である。

 今回のコロナ禍を機に行うべきは、JR東日本などに「時間帯別運賃」を検討させることでも、値上げをさせることでも、「不採算路線」の切り捨てを検討させることでもない。

 財政的なものを中心に国などの関与を強めて、JR東日本などがこれまでずっと抱えてきた負担を軽減してあげて、国民に、国民経済に必要不可欠な公共サービス、公共インフラを維持発展できるような方向に、政策的転換を図ることである。