立派だと思ったのは、インタビューをまとめても、まったく著者校正をしないことです。大抵の政治家はインタビューでいろいろサービス発言をしても、後で秘書や担当の官僚が削ってきて、原型を留めないものになることがままあります。

 しかし野中先生は、「政治家の発言は一度出たら覆せない。だから、著者校正はしません。覚悟をもって日々しゃべっているのだから、一切見ない」の一辺倒。こういう政治家に出会ったのは、長い編集者生活でもたった1人でした。

 町会議員から府議会議員を経て58歳で初めて国会に登場、国政を仕切るまでに至った人は、政治家としての使命を徹頭徹尾理解していた人だと思います。

当時の野中氏。阿川佐和子氏や二階俊博氏の姿も見える(著者提供)

 たとえば言論の自由。

 当時、文芸春秋から発行されていた『諸君!』という雑誌が、野中氏の北朝鮮寄りの姿勢を徹底的に批判していました。その『諸君!』が廃刊になりました。すると、野中先生はこう言ったのです。

「残念なことです。私は京都府議時代、当時の京都府知事・蜷川虎三さんの、社会党・共産党と組んだ独裁政権と闘ってきました。そのころ、メディアで蜷川批判をしていたのは『諸君!』くらいです。だから、ずっと定期講読しています。自分が政権側に立って『諸君!』から批判を受けると辛いのですが、政権の座にある者として謙虚になることは大事です。ですから、どんなに批判されても『諸君!』は愛読していました」

 今どきの政治家は、自分の批判をされるといきり立ち、メディアへ批判を繰り広げます。しかし、権力の座に立つものは、民の声に耳を澄まさねばなりません。コワモテの政治家のイメージがありますが、野中先生は気配りも天下一でした。

記者に食事に招かれたら
必ず手土産を持ってきた理由

 政治家の後輩たちの心配もしていました。

 雑誌記者に食事に招かれたら、野中先生は必ず手土産を人数分持ってこられます。京都人らしい、センスのある手土産でした。

「雑誌記者にごちそうになっていたら、必ずその後困ることになる。同席してもお互いに立場が違うことを認識しない政治家はダメだ」