IT黎明期に日本のみならず世界を舞台に活躍した「伝説の起業家」、西和彦氏の初著作『反省記』(ダイヤモンド社)が話題だ。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。20代から30代にかけて劇的な成功と挫折を経験した「生ける伝説」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴ったのが『反省記』だ。ここでは、大学在学中の21歳で創刊した「月刊 アスキー」を成功に導いた、ベンチャーならではの「ゲリラ戦」について振り返る。

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「持たざる者」はゲリラ戦しかない

 郡司明郎さん、塚本慶一郎さんとともに『月刊アスキー』を創刊したのは、1977年11月。僕が21歳のときのことだ。

 特徴的だったのは、その大きな判型だった。一部の書店からは「大きすぎて邪魔だ」という声も聞かれたが、その斬新なデザインが「アスキー・サイズ」と呼ばれて話題となった。

 これを設計したのは、共同創業者の塚本さんだ。紙面設計をあれこれと試した結果、大きな誌面でビジュアルを重視したデザインを作り上げたのだ。教科書への反発でもあった。教科書がつまらないのは、絵がない、色がない、小さい、字が古いからだ、と。それを全部改めて、理想の誌面を作り上げてくれたのだ。

 印刷部数は5000部。『月刊アスキー』を創刊する前に参画していた、日本初のホビー・エレクトロニクスの情報誌『I/O』の創刊号が3000部だったから、強気の部数ではあった。僕は1万部を主張したから不満だったのだが、手持ち資金から逆算して部数をはじき出していた共同創業者・郡司さんから、「そんなことをしたら、あっという間に会社が潰れる」と諭された。

 問題は、どうやって売るか、だ。