僕たちは、「絶対に売れる」という自信があった。なぜなら、当時、日本にもマイコン・マニアは激増していたが、マイコンに関する情報源は、マイコン生誕の地であるアメリカの専門誌に限られていたからだ。

 アメリカの雑誌を手に入れるのが難しいうえに、英文をいちいち読みこなすのも面倒。そうなると、アメリカの最新情報から、国内メーカーの動向まで、わかりやすく解説する記事が満載の『月刊アスキー』が売れないはずがない。しかも、そんな雑誌は、国内には一冊もなかったのだ。

 ところが、そんなことは普通の書店にはわからない。

 それに、街中の本屋さんに置いてもらうには、取次という書籍の問屋さんに卸してもらう必要があるのだが、何の実績もない『月刊アスキー』を取次が扱ってくれるはずがなかった。つまり、僕たちに「正規軍」のような戦い方は不可能ということ。「もたざる者」は、ゲリラ戦に打って出るしかない。営業担当の郡司さんの陣頭指揮のもと、僕たちは考えうる限りの知恵を絞って市場開拓に乗り出した。

ビジネスの「善」と「悪」

 とにかく、書店店頭に置いてもらわないと何も始まらない。

 これが出発点だった。だから、僕たちは、首都圏の書店に行くときは車に載せられるだけ雑誌を積み、地方の書店に行くときは唐草模様の風呂敷に雑誌を包んで、よっこらしょと背負って行商に繰り出した。

 ところが、そう簡単に店頭に置いてはもらえない。「売ってください」と書店に持ち込んでも、売れるかどうかもわからないものを、おいそれとは引き取ってはくれない。しかも、雑誌名は横文字で「ASCII」。何と読むかすらわからない、正体不明の雑誌なのだから当然のことだった。

 そこで、一計を案じた。

 まず、郡司さんと僕の二人組で、秋葉原など売れそうな地域の書店を訪問する。最初に雑誌を抱えて店内に入るのは僕だ。そして、書店員さんに声をかけ、「この雑誌を創刊しました。お店に置いていただけませんか?」と頼む。十中八九は、「そんなものは置けないよ」と断れてしまうのは見越した上だ。案の定断られると、こう言う。

「ちょっとトイレを貸していただけませんか?」
「ああ、いいよ」

 ここで、こう頼む。

「じゃ、ちょっとこの雑誌、ここに置かせてくださいね」

 そう言われて、「ダメだ」と言う人はいないから、書棚のうえに雑誌を置いて、僕はトイレに消える。

 そこへ、郡司さんが「客」を装って店に入ってくる。

 書棚をプラプラと見て歩いているフリをしながら、僕が置いた雑誌の前を通り過ぎたときに、「ハッ」と驚いたように引き返して一冊を手に取る。ページをパラパラとめくりながら、目玉記事に目を止めると、十数秒じっくりと読み込み、感心したような表情を浮かべてみせる。そして、レジに向かって「これください」とやるわけだ。

 これには、書店員さんも「エッ」となる。ほんの数分店頭に置いた雑誌が、あっという間に売れたのだ。「ひょっとして、この雑誌売れる?」という考えがよぎるのが自然だろう。

 そこへ、再び僕が登場する。トイレを貸してもらった御礼を伝えて、雑誌を抱えて出て行こうとすると、「ちょっと待って」と声がかかる。そして、「今一冊売れたんだ。精算もしなきゃいけないから、その雑誌仕入れるよ」となるわけだ。

 騙したってことじゃないか?

 そうお叱りを受けるかもしれない。たしかにそうだが、僕たちは、「売れもしないもの」を騙して仕入れてもらったわけではない。「売れる」と確信しているものを、仕入れてもらうために一芝居を打ったのだ。